50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

タグ:熊本地震


熊本レポ6−1−1熊本レポ6−1−2熊本レポ6−1−3
熊本レポ6−1−4

熊本レポ6−2−1
熊本レポ6−2−2

熊本レポ6−2−3
熊本レポ6−2−42




熊本レポ6−3−1
熊本レポ6−3−2
熊本レポ6−3−3熊本レポ6−3−4
熊本レポ6−4−1熊本レポ6−4−2







イベントって
準備に
とっても
手間と時間が
かかっているのに、


開催日が
過ぎてしまえば

消滅してしまう



それが
はかなく

勿体無く、



また

気づきが
とても
大きかった
イベントだったので

本篇の途中でしたが

長々描いて
みました。




私に
似顔絵ならぬ
似てない顔絵
登場させられて
しまった方々

お許しください!


特に会の間、
学生代表の
k城さんには
きめ細かくサポートして頂き
本当に助かりました
ヽ(;▽;)

お世話になり
ありがとうございました
m(_ _)m




花畑町別館は

守建物には珍しい

茶色

ですが、

どうやらそれは


【熊本城🏯
の見映えを
引き立てる

近代建築とは?】


という問いへ

守が
1930年代に
出した

ひとつの答え
だったようです。


(守建物を
追っていくと、

作品の流れの中で
突然

今までやらなかった
外観デザイン
取り入れた?

と驚く
建物が
現れることが
あるのですが、


それは

その場所
特有
周囲との兼ね合い
考慮して

ガラッと変えているように
見えるのでした。

(野田郷土博物館が
典型的に
それを感じますが、

このことは
いずれ
また
全体を俯瞰して
描いてみたい
テーマです)


そして
今回
どうしても
描いておきたかったのは

熊本にとっての
初期の
近代建築であった

花畑町別館が
採用した
色が

リレーのバトンのように

今も
熊本の
街の建物に
引き継がれている

という
事実
知ったことでした。



それは
熊本城という
はっきりした
景観のシンボルを
持つ
街が


世代を
超えて

街の美しさを
引き継ぎつづける

という意識の高さ

強制されることなしに

自然に持つことが
できていた

ということの
あらわれ
であるように
思いました。


守建築を
見ていくと

守は
建物を 

単体でなく

その建物が
建ったとき
周囲からどう見えるか、

ということを
いつも意識していた
様子なのですが、


(↑
何度も言いますが、 
私は
これは
広大な
濃尾平野の真ん中で
育った影響だと思っています)


建物が
景観に与える印象を
誰よりも
考えていた

街のために選んだ
色が

80年後も

バトンのように
引き継がれていることを

普段
熊本に縁のない
孫として

知ることができたのは

とても不思議な体験でした。



また、
東海大学の
創立者

松前重義
の郷里が
熊本だと知り、
不思議なご縁を感じました

(山田守 は
松前氏と一緒に
東海大学を立ち上げ、
その縁で
東海大学の初期の建物を
ほとんど無償で
設計したそうです)





守の人生を
追っていくと、

景観に貢献する
建物
常に考えていたし、

また、実際
貢献している
実績?
も沢山あり

これも
その
ひとつと言えると
思うのですが、


晩年の
京都タワーの
景観論争の
印象が

一部に残り

景観破壊な建築家?
みたいに
揶揄されることも
あったのは

本当に皮肉なことだな、

と思います。


しかし、
祖父は
景観論争で
色々批判されても

はっきりした
信念もあったためか

ぜんぜん
しょげる様子はなく

ひょうひょうとして
まだまだ造りたい山程の
建物へのアイデアに
邁進していた
そうです。



孫としましても

建物のことは
ドラマになりにくい、

と言われている
にもかかわらず、

山田守をめぐる
建物のドラマ

バッシングなど
負の状況に陥った
あたりも含め、

面白く感じられ、
( ´∀`) 


まだまだ
追いかけたい
ところです





次の更新に続きます 

山田守建物探訪① 門司レトロ舘へ→




今回お世話になった田中智之先生近著です
駅ではなく緑が中心にあり、
古い町家から近代現代の建物まで
城下町をベースに色々な建物が共存している
熊本の建築の多彩さを知る
 
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熊本レポ5−1 
熊本レポ5−2
熊本レポ5−3
熊本レポ5−4
熊本レポ5−2−1

熊本レポ5−2−2
熊本レポ5−2−3
熊本レポ5−2−4



①〜④話までは
イベントが
どのようなものだったか
レポート
してきましたが

今回の⑤話


次回
最終回の⑥話
では

イベントを通して
心に残ったこと
少し
描いてみたいと
思います。





何かが無くなる
ということ。


誰かがいなくなる
ということ。



それは、

そこに
当たり前のように
あったものの

はかなさ


見せつけられる
ことであり、


また

なくなったものとの
関係が
深いほど、

当たり前に
生きている
自分自身

同じく
はかない存在
だと

思い知らされる
こと
であったように
思います。






形あるものは

いずれ
なくなる。


だから
執着しないように
した方が
いいのでは。


私は
なんとなく

色々な
事・物に対して

そんな風に
思っていたような
気がします。




なくなった時に
ショックを受けないように…


いなくなった時
淋しくならないように…

……





しかし、

いざ

何ものかが
永遠に
失われてみると、


そのものの
持っていた良さが

二度と戻らないこと
喪失感
強く迫ってきて、


もっともっと

その良さを
自覚して、

いつでも思い出せる
くらい

しっかり関わって
いくべきだった

と思われて
しかたなかったのでした




さらに、

執着しない、
などと
うそぶいていたのは

単なる

面倒くささや
おっくうさ
への

言い訳でしかなかった
ことに気がつき、


自分自身の
時の過ごし方に

ひどく
腹が立ってくるの
でした




ただ 、

時が経つにつれ、

なくなったもの
への
喪失感は


自分にとって

与えてもらっていた
ものの
大きさと

比例している


ことに
気づいてきたりも
したのでした。






なくなったものが
教えてくれること。


それは、

生きている
この時間に

何を
与えられているかを


振り返れ。


そんな
メッセージ
であったように
思いました 。






もともと
この漫画を描きはじめたのも


父が亡くなったことが
きっかけで、



調べたり
描いたり
しなければ

このまま忘れられ、
分からなくなってしまう
人々の思い

気がついたから
なのでした。





日々の生活の中で

生活と関係ないことを

調べたり
描いたり
することは

実はかなり
大変な
作業なのですが、


いなくなった人々が
見せつけてくれた

一生の短さ、

人生のはかなさ




その
面倒なことに
取り組む
力を与えてくれる

ものの
ようにも
思われてくるのでした。






なくなった建物を
追う
イベントを通して
そんなことを考えて
いたので

今回は
そんな話を
描いてみました


m(_ _)m




次の更新につづきます



次回で
熊本レポは終わりです


なくなったとばかり
思っていた
祖父の建築が
熊本に
残したもの
とは?


GW最終の日曜日に
更新予定です
















 


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熊本レポ3−1
熊本レポ3−2
熊本レポ3−3
熊本レポ3−4



●熊本レポート3話目です●

こちらが当日配布された
パンフレットなのですが、

物凄く良く出来ていて
永久保存版です


FullSizeRender



FullSizeRender

こんな感じに
折られて配布

IMG_1981


開くと 

素晴らしい図面
部材
建物のどこにあったか
わかるようになっています

IMG_1982
そして実際の部材…
例えば
外観タイル…↓

IMG_1091
これについて
パンフレットで部材を探す
IMG_1989

↑引き出し線のところに
有田焼のタイルだと
書いてあり、


引き出し線が
結ばれている先には↓

その部材が現している
建物の
特徴
書かれていました

IMG_1990
これを読むと、

白い建物が多かった
山田守建築ですが、

それは
海外視察

国際様式という

世界中
どんな地域に建てても
なじむ近代の建物を
建てようという
流れ
に触れて

影響されたもので、


一方
熊本らしさ
考えた時、


熊本城🏯
景観
より調和する

茶色
を採用した
らしいことが
分かります。

★ 
以下
当日話題になったもの。

メールシューター
IMG_1095
IMG_1986
ハガキを2秒で
階下まで
届けられる
最新設備
(あくまで当時の(*^^*)


山田守は
エピソードをひもとくと
新し物好き


色々な便利なものを
いち早く
建物に
取り入れている
ことが多いのですが、

熊本にも
わさもん
と呼ばれる気質
があるそうで、

新し物好き
​と
いう意味だそうです。

そんなところも
熊本と
山田守は
相性良かったのかも。


わさもん

くまモン

ありがとう!

13541206-D07A-4B3F-9E7F-FBA077B0909C

けんちく寿プロジェクトさん
とは

熊本大学の田中智之先生
率いる
研究室の
学生様と

崇城大学の西郷正浩先生
率いる
研究室の
学生

から成る

ことぶかせ隊

の方々の

素晴らしいセンスと
運営により

このように
素敵に
とりおこなわれて
いたのでした


部材って
見て
面白いの?

とか
思っていた私でしたが

いえいえ、

部材の虜に
なりそうでした
IMG_1085
↑大宮司先生でも初めて見たという
丸くないガラスブロック。
(先生似顔絵似てなくてすみません(汗


また、
実行委員会

熊本まちなみトラスト理事
西嶋公一

熊本五高記念館 
客員教授
磯田桂史先生

熊本大学
田中智之先生

崇城大学
西郷正浩先生

本当に
素晴らしい会
ありがとうございました




次の更新に続きます

土日に配信した方が

見に来てくださる人が
多いようなので
連続して
アップしてみました。


続きは
来週末にしようかな、
と思っています。

何もなければ。




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いつもご愛読ありがとうございます












↓こちらのイベントに参加した
熊本レポート2話目です
2017寿チラシ表_最終





本日  2018・4月14日付で
熊本地震から
まる二年が経ちました


当日は東京でも
地震速報が流れ、

むすこと家の外に出た後、

震源地が熊本

と出て、

当時
東日本より
九州あたりは

地震に関して
落ち着いているように
思えていたので、

とても
ショックを受けたのを
覚えています。


また、

一度めの揺れでは

被害が少ない
様子だったのに、

二度目の方が大きな揺れ、

という地震があるのを
目の当たりにし、

予測のできない
地震というものの
恐ろしさ

日本中がぞっとしたことも
忘れられません。




被害に遭われた方々の
ご冥福、

一日も早い
復興を
心からお祈りいたします







今回の催しも
地震後

急速に変わっていく
熊本の
街並みへの

危機感から、

美しい街づくりへの
建物の意義を
問いかける団体様が

催して下さったもので
ありました。



祖父設計の
熊本市役所花畑町別館

旧熊本逓信病院

今回の地震にも
耐えたそうでした。

(タイル一枚落ちなかった、
という表現で
伝えて頂いています)



そのこともあり、
保存活動を
熱心にして頂いていたようです。



山田守建築が
頑丈だった話
色々なところで
聞くのですが、

一番驚いたのは

広島逓信病院などは

ナント!

原爆
にも耐え

​救護施設となった記録が
今も
現地に展示されているそうです。




私が本編を描く
きっかけになった

でも


濃尾大地震の爪痕が残る
土地に育った
守は

関東大震災前から

地震に対する意識が高く、

常に
祖母に
地震が来た時の
心構えを
語っていたそうでした。





さて、今回の
漫画についてです。



守の建築、ということで
反応を下さる方

①建築学科出身で
建築史の中で知った

②東海大学出身で
守のつくった校舎で過ごした

③実際の建物を好きになり、
検索して知った



などが

主のようなのですが、



中には

熊本出身で、
小さなころから
親しんで
育ちました。

などと
言って下さる方が
ちらほら…


熊本には

むすこが
小さな頃

プラレールからの
鉄道ファン(小鉄)
になり
(おきまり)

ゆふいんの森など
を乗り継ぎ

阿蘇に行った。

くらいしか
行ったことがなく、


今回
熊本で
山田守建築が
どんなことになっていたのか

振り返り、
まとめてみました。

ちょっと写真が小さく
白黒なため
分かりにくいものになって
しまい
すみません!


守建築では
あまり残っていない

戦前のシンプルなタイプの
建物が
非常に良い状態で

生活の中心で

使って頂いていたのだ、

ということが
よくわかりました。



ちなみに
熊本
花畑町別館(1936年竣工)
IMG_0493
このように美しく使って頂いていましたが

近い時代(1932)
に作られ

まだ残っている
東京の
荻窪郵便局電話事務所は


93A9B9A5-3305-4F91-97D2-B6A0075FEB8E
↑こんな感じです


原型を
とどめてないっていう…
(°_°)


近くに住んでた時期も
あったのですが

荻窪の
おじいちゃんの建物って
どこなんだろ〜
(・・?) 

って

まだ検索もなかった時期だったので
よくわかりません
でしたっけ…




今回惜しくも
解体となりましたが


本当に長い間

綺麗に使って下さって
熊本の方々
ありがとうございました


長くなりましたので

今回大変お世話になりました

熊本ビル部さんについては
また
お話したいと思います




次の更新に続きます


































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