50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

タグ:明治大学

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金沢 7−4−2
金沢 7−4−3

金沢 7−4−4



つづく





【今回の制作あれこれ】

山田守の恋バナに
サクッと話を進めたかったのですが、

守祖父が
充実した
青春モラトリアム期を送っていた
大正3年
といえば、

開始された
①第一次世界大戦
についてと

②動きの激しかった
美術界

について
触れないわけにはいかない
かな

と思い、
この回を描いてみました。


①第一次世界大戦は
当初
海外でも日本でも、

多くの人が
一年以内に終わると
楽観的に考えていたそうです。

しかし、産業革命後の
技術革新
武器にも及び、

戦線の膠着、長期化、
死亡者の桁外れの増加
などから
世界中を震撼とさせました。

山田守の
建築世界への入り口では
第一次世界大戦が、

社会、経済、
人間の考え方、感じ方など
幅広い方面に
強く
影響を与えていたのです。


②美術界については、また。




今回、山田守が立ち上げた
四高洋画会
からは、
分かっているだけで他にも
二人の建築家
が生まれています。
お二人とも
山田守に感化?されて
東大建築学科に
進んだのだとか。

石川純一郎先生
FullSizeRender
竹中工務店に入社し、活躍。

代表作
朝日ビルディング(1931・大阪)
IMG_9343
※写真は竹中工務店HPより引用させて頂きました


大内秀一郎先生
大内秀一郎 探す

分離派研究会に
遅れて参加する。

「欧州近代建築の主潮」(大正12年)などの
欧州近代建築関連の著書あり。

大阪市立電気科学館(1937)
の設計者の一人とされる。
FullSizeRender
※写真は電気科学館のWikiより引用

ちなみにこの建物は
手塚治虫先生が
少年期
足しげく通う
お気に入りスポットだったそう。
日本初のプラネタリウムがあったとか。

実は 私の兄秀一郎
という名前で、
どうやらこの方から
とった名前らしいのですが、

その割には
この
大内秀一郎さんについては
祖母も知らず、
どんな人か全く
伝わっていないのです。

守祖父は、兄が生まれた時
男の孫が生まれ
たいそう喜び、

大変仲良くしていた
後輩?部下?の
名前を勝手につけた、

とだけ伝わっているのです。

祖父がそんなに
惚れこんだほど
好人物だったらしい
大内さん
どんな人だったか、
この漫画を描き、
調べる中で

どこかで
知ることができたらいいなぁ
と思っています…


北岩松さん家の碁会所

前回描きました
今もあるお菓子屋さんの
先代、
北岩松さん。
無くなってしまったのですが、

当時ご近所の人々が
碁会所として
出入りしていた、
北さんご自慢の
お座敷が
まだ残っているとのこと。IMG_9338
なんでも床板
50回以上かけた
拭き漆
なのだとか。

当時を偲ばせる
珍しいお部屋を
見せていただいたので
漫画にも
登場して頂きました
(^^)


【編集後記】

先日より、
何か、いつもより
アクセスが多いな?
と不思議に思っていたら

大ベテランの
素敵な建築家
秋山東一先生に
ご紹介記事を描いて頂いて
いたようです


守祖父も
美術の流れの影響の大きい
建築家だと思い
この話を描いていますので、

岡倉天心率いる
東京美術学校の
後継校
東京藝大ご出身の
秋山先生に
お言葉を頂き
励まされました

ありがとうございました

先生に言及頂いた
フランス圏のマンガ
バンド・デシネ
少しでも近づけるように
頑張ります〜

絵が下手だからキビシイが〜

そうそう

海外には
グラフィック・ノベルと呼ばれる
漫画分野もあるみたいなのを
この機会に
バンド・デシネ調べているうち
知りました

グラフィック・ノベル!
なんて
素敵な響き!

(о´∀`о)
ナンカ言ッテルゲド
言ワシトイテ

次の更新は
2月13日(水)前後を予定しており
ます














 
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山田金沢6さむね

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山田金沢6−5−2
山田金沢6−5−3

山田金沢6−5−4
つづく







山田守の
金沢の旧制高校時代は
建築家になる前・・・
どころか

建築家を正式に?志す
以前の話
なので、

なかなかまどこっろしい部分
が多く、申し訳ありません


ですが、
山田守が大学卒業時に
書いた
分離派宣言の
文章を読むと、


建築の実務に入る以前から

すでに建築に対する
おおよその考え・完成が
できあがっていたよう
なので、

なぜその考えに至ったか?
を導き出すためもあり
このあたりも
ひとつひとつ描いてみています

(建築ファンの方
おつきあいいただきありがとうございます)




今回描きたかったこと

❶山田守の新しモノ好き・・・ローラースケートのエピソード

Y子の父母の仲人までしてくださった
新田さんによると
山田守といえば金沢にローラースケートを持ち込んで
流行らせた
ほど
新しいモノ好きだったということ・・・


そのローラースケートって
どっから来たの

と長年疑問に思っていたのですが、
今回調べてみると、


何と例の
守が大好きだったという
漫画13−1 金沢青春篇 第一話
雑誌『白樺』3号(明治45年)に、

同人の里見さんという人が
ロダン展の手伝いには来ないのに
浅草のルナパークのローラースケートには
早起きして出かけてる!

文句を言われている(笑)
記事が載っていたようです


守はそれを読んで
面白そうだと思っていたところ、
この漫画の前年の
大正2年に子供たちの間で流行したそうで、
手に入れやすくなったものを
いち早く取り寄せ、
得意満面で
金沢で披露したのではないでしょうか?

(あくまで想像ですが。)


岐阜の地主の息子である
守が
日本の近代建築のパイオニア
となったのも、

この新しいカッコ良さそうなものに
敏感な性格のため
だったのでは?
というところに
つながるかと思い、

こんな風に
描いてみました。

(このルナパークっていうのも
調べるほどにツボにはまり、
またどこかで描いてみたいです)


❷友情出演の 北岩松(きた いわまつ)さんについて

例の祖母のテープの中で、
祖母が神保家のあった場所を
くわしく語っていた
ので

跡地をたずねてみると
一軒の和菓子さんが。

おそるおそる神保家について
何か知らないか、と
聞いてみると、

なんとそのお店は
神保八十吉から土地を買い、
現在まで営業されている
とのことで

神保家がいかに栄えていたか
などを
私と同年代の
ひ孫にあたる方々も
伝え聞いて
知っていらしたのです!


IMG_0966

和菓子屋さんの先代は
北岩松さんという
織物工場で一時代を築いた
資本家で

神保八十吉とも親友で
ご近所の強烈資本家旦那衆として
闊歩する姿が
有名だったそうな。

・・・・曽祖父の話が
いまだに伝えられていたことに

金沢という場所の変わらない時間、
伝統を継承するお土地柄を
思い知った
瞬間でした!



山田守は
四高洋画会を立ち上げるべく
奔走中ですが、

この活動は
のちに
分離派建築会を起こす
前哨戦?的
なものに
なったのではないかと
私には思われます。

分離派建築会も
色々な支援が
差し伸べられていたようですが

金沢でも
商工会議所などの支援があったとのことで

それらの人脈は
この理解あふれる大店・
神保商店にて
培われたとしても
不思議ではない
と思い、

今回はこんなような
わやわやした
人物群の話を描いてみました。

(読みにくかったら
ごめんなさい!)



→菓子匠 虎彦さんのリンクはこちら
お菓子もとても美味しいので
金沢武家屋敷あたりにお越しの際には
立ち寄られては
いかがでしょうか




❸警察署の建物も格好よかった件

建築マンガと銘打ってるのに
建築の話が全然出て来ないので

最後のコマに
大正元年にできていた
木造洋風の警察署

描いてみました

四高からも程近い場所にあったので
まだ建築に目覚めていない
守祖父も
必ず目にしていたはず。

西洋風の建物が
移植されていた時期のため
警察署がかわいい!
のが
個人的にはツボでした(´∀`*)


警察の建物にも
東大建築学科卒の建築技師は
何名も
関わっていたようで

岐阜編でお騒がせしていた
山田静兄の
仲良し3人組の
渡辺節さんではない方の方・・・
竹内六蔵さん
IMG_5144


築地警察署の技師として
働いていたようです。→節先生のこと
竹内六蔵さんはのちに鹿島建設の副社長になられ、
窮地にあった山田を
救ってくれることになります)


まとまらずすみません
ご意見ご感想などいただけたら
今後に活かせるかと思います

今年もよろしくお願いいたします



次の更新は
1月27日(日)前後を予定しております














 
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金沢5−5−2
金沢5−5−3
金沢5−5−4
つづく

曲『戦友』youtube→


旧制高校は
学校によっては
全員寮に入る学校も
あったようですが、

四高は
地元の生徒は
自宅から通っていた
ようです。

神保家は
学校からも近く、
裕福な商家で余裕もあり、

自宅生・寮生の両方が集う
学生の憩いの場
となっていたようです



旧家に入婿を迎えていた
母・柳子は
家父長制で女性の 
発言力が制限されていた
時代においても、
 
文化に対する意識の高さと
社交性のある女性で、

神保家のカラーを
文化的なものに
していてくれていた 
ようなのでした。


そこで山田守は
何を見、
何を吸収していったのでしょうか?


そのようなことを
祖母のテープ
向井覺先生の本
伝え聞いた話
当時の時代背景

などから
考え、

このように描いて
みています





2018年12月10日
NHKBS−1にて
京都タワーをつくった男
山田守
という番組を放映していただきました!

IMG_8125


批判や誤解の多かった
京都タワーという建物を
真っ向から
建築家の思いを通して
見直していただけた番組となっていて
感激いたしました


番組スタッフ皆様、
ご覧いただいた皆様

そして
いつも山田守研究で
お世話になっております

大宮司勝弘先生はじめ、
取材をお受けくださった方々
厚く御礼申し上げます




これから年末のドタバタに突入・・・
作画・更新作業が
できにくいので、

神保家の大合唱と
ともに

年内の更新は
今回が
最終とさせていただきます



2019年
年明け更新は
1月13日(日)頃を予定しております



本年
拙作を
ご愛読いただき
ありがとうございました
😊


来年は
難しいシーンが
多くなるので
不安もいっぱいですが、

取材を重ねて
少しでも
いいものをお届けできるよう
精進いたします!



来年も
50年めの大きな玉ねぎ

どうぞよろしくお願いいたします!


Y子不思議な子正方形180180

2018.12.16
YY








 
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山田 金沢 4−4−4

金沢4−5−1
金沢4−5−2

金沢4−5−3


つづく

漫画のみ読みたい方続きはこちらクリック→金沢5話 運命の出会い


吉田鉄郎
『建築家吉田鉄郎とその周辺』(相模書房)より
吉田鉄郎
(四高在学当時は五島姓)


東京駅前
吉田氏の代表作
東京中央郵便局
モダニズム建築の傑作と讃えられ
再開発計画中
故 鳩山邦夫
(貴重な文化遺産を解体するのは)
『トキを焼き鳥にするようなもの』
と発言するなど
論争を呼び、


現在のような
外観保存に落ち着いた
という
記憶もそろそろ懐かしいです。
(JPタワーが竣工して早6年・・・)



そんな吉田鉄郎さんと山田守は
通信の急激な発展
にともなって
日本中
郵便局やら電信局が
必要だった時代
に、

逓信省の建築技師として
建築の発展に貢献した
として
二人一緒に
よく語られます




吉田鉄郎先生と
山田守は
こんな感じの関係。


山田と吉田表

まさに性格も作風も
真逆のようでしたが
かえってそのバランスが
良かったのでしょうか。

山田守の建物は
初見から印象が強いところがありますが、

吉田氏の建築は静かで、
見れば見るほど美しいのが特徴・・・

私も
調べるほどに好きになり、
京都に残っているという
吉田先生の建物を
早く見に行ってみたいです・・・




さて、そんな吉田さんと守は
高校時代にニアミスしていた
ようで、

吉田氏が描いた
この女神様のハガキを、
守は
そうとは知らず、
『絵が上手い人がいるなぁ』と驚き
ずっと持っていた
ということです。

IMG_8032


逓信省時代に吉田さんに見せたら
持って行かれてしまったそうな・・・



寮のお祭りの飾り付け、
というのが
よくわからないかもしれませんが、

IMG_8026
(写真集『旧制四高校青春譜』能登印刷より引用)

こんな感じに
寮の部屋を
ひたすら紙に何か描くなどして
飾り、
賞を競っていたようです

IMG_8024

この日ばかりは女性も
高校に入れたそう。
四高生は街のアイドル的存在でもあり
ワクワクした1日だったでしょうね( ・∇・)


新田さんという人も
実在の人物で、
守の一生の親友になりました。
色々な場面で守はこの方にも
助けられていますが
Y子の父母の仲人までやってくださった
親切ぶり・・・・



★ご好評いただいております
『50玉建築散歩』は
記事が長くなるので
別ブログにしようと準備中です!


【告知1】
12月4日(火)と、日にちが迫っておりますが
このような催しがあるそうです。

IMG_7891

よくお名前お見かけする観音克平 様
資料でお世話になっているNTTファシリティーズの皆様
山田守研究で鉄板の大宮司勝弘 先生
分離派研究の第一人者 菊地潤 様・・・などなど
一度はお話を伺ってみたかった方々が沢山!

それから、身内ではありますが
山田守の
無くなってしまった建物の一切を
コツコツと撮り続けている

写真家の弟・新治郎も登壇するようです!

弟もお陰様で忙しくしており
なかなかまとまって話を聞く時間がとれないので
どんな話が語られるか
身内ながら楽しみにしています(╹◡╹)


【告知2】
来週の更新は
本編はお休みにして、何か
について書こうかな?と思います

というのも
12月10日(月)
NHK BSにての番組
放送される予定
だそうです
(山田関係者も沢山協力しています)

また詳細こちらにアップします!




 
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