50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

タグ:岐阜羽島


Y子不思議な子正方形180180
日本武道館京都タワー
同じ設計者によるのものだと
いうことは
あまり
知られていません


謎の多い建築家
山田守(やまだ・まもる)

孫の立場から調べ
漫画にして語っています

IMG_2064
東海大学 代々木校舎


●当サイト初訪問の方へ

はじめにご覧の上、
少年篇から
読み進むと
守の人生を追うことができます




目次

【プロローグ】
(漫画を描いたきっかけ)

★★人気 守イラスト年表 







番外編

【解体された山田守建築をめぐって〜
熊本レポート
(6話完結)

IMG_0493
熊本市役所花畑町別館

熊本レポ①

★★★人気記事熊本レポ②

熊本レポ③

熊本レポ④

熊本レポ⑤

★★★人気記事熊本レポ⑥




【山田守建物探訪

門司電気通信レトロ館


New!②-2東海大学湘南キャンパス
山田守胸像について

IMG_1563

門司t電気通信レトロ館


【50年めの大きな玉ねぎメイキング

岐阜県大垣 取材のようす

山田守自邸庭の眺め

⭐︎Y田Y子 プロフィール⭐︎
連絡先はこちら
各種ご依頼も
承っております
 


【少年篇】
(岐阜での生育歴)
最終回です
山田12-5−4
山田12-6−1身内が?
山田12-6−2アキとやら
山田12-6−3建築に来るといい
山田12-6−4図画の時間があって
山田12-7−1内田
山田12-7−2お前なら強

山田12-7−3都合のいい学問
山田12-7−4西洋どんな
山田12-8−1まてよブログ
山田12-8−2高校では
山田12-8−3お疲れ様
山田12-8−4岐阜最後



時間がかかってしまいましたが、

山田守が

建築の道に進んだ流れ


親族から聞いた話

資料に残された
人々の経歴など
を結びつけ、

推察し、

このように描いてみました。
(事実を元にしたフィクションということで
よろしくお願いいたしますm(_ _)m)



守の高校時代の親友
新田氏
によると、


守は
中学・高校
熱中して
絵を
描いていたが、

とくに建築の準備として
描いていたわけではなかった。


進学を決める際、

建築の予備知識があった
訳ではないのに、

悩まず建築学科を
志望した。


理由

兄・静が通っていたから。

とだけ語った。

当時の様子を
伝えてくれています




守が生まれる3年前におきた

濃尾大地震により

西濃地域にも導入されはじめていた
レンガ造の
建物は
壊滅しており、


ちょうど
レンガの耐震補強、
あるいは
鉄筋コンクリートへ移行する
模索期にあたっていた
当時、

木造以外の
新しい建物は
建っておらず、

生活圏で
憧れに値する
最先端の
西洋建築物を
見ることはできなかった
ようです。



また

当時愛読していた
雑誌などでも、

ようやく
絵画が
紹介され始めたくらいで、

守に
西洋建築の魅力を
気づかせるものが

読めていたとも
思えません。



それらのことから、

西洋建築物をつくる
進路を
示せたのは

この静の存在しか
なかった

言ってよいのではないかと
思われるのです。




守より
13年も早くに、

創成期ゆえ
実態が分かりにくかった
建築学科に
入り、

色々な経験をした

静の
導きがなければ


山田守が

日本のモダニズム建築の
パイオニア

言っていただける
位置
つけることは
なかったかもしれません


そんな、
多大な影響を
与えてくれた
について

守は多くを
語り残しておりません。


理由は、
やはり

当時は
スキャンダラスな目で
見られた

芸者さんと一緒になった
顛末を、


無理言って嫁に来てもらった
資産家出身の

祖母に

あえて
話したく
なかったのかも
しれません。



しかし、
この当時の
恋愛結婚は

単なる
痴話話
という訳ではなく、

自分の自由を
叶える

自己実現の
象徴
としての
意味も
強かったようです。

(見合いをせずに
嫁をもらった。
武勇伝のように語る人も
多かったとか。)


これは
あくまで
私の推測ですが、

この後、
比較的
若くして亡くなる
静は、

自分は

自己実現の
エネルギーを
恋愛結婚で
使い果した
感じがあり、


その頃活躍を始めた

親友の
渡辺節さんの
様子などから、

これからの
建築界の盛り上がりを

予感することが出来、


建築界で
自己実現して
活躍する
希望については

絵画に熱中していた
弟に託した
部分があった、

解釈するのは
飛躍が過ぎるでしょうか?




この後

高等学校を
卒業し、

無事
東大建築学科に
受かった
山田守は

静の紹介で、

静の同期で
既に
東大建築学科の
教授になっていた

内田祥三氏に

東京の保証人になって
もらいます。

それ以降、

建築面はもちろん、

ある悩み(笑)
まで相談するなど、

多大なるお世話に
なることになります。



IMG_5607
内田祥三先生


鉄筋コンクリートの研究や

木造モルタルによる防火など、
防災に関して尽力され、
日本の建築界に
大きく貢献した
巨匠。

元東大総長。


学生闘争の舞台となった

東大安田講堂
をはじめ

IMG_5630


今も
東大には

内田ゴシックと呼ばれる

内田祥三先生の設計による
美しい建築物が
多く
残されています。


そんな
美しい建物を遺した
内田先生でも、


当時
絵画的な要素が
濃かったという
東大建築学科の授業に対し、


絵をほとんど描いたことがないまま
入学してしまい

面食らい


学校をやめようかと
悩むほどだったという

エピソードが

残されています。


【岐阜編の最後に…】

ちょっと早出しですが、

山田守と寿は

内田祥三先生ご夫妻に
仲人
をしていただきました。

内田先生 結婚写真 名前入り



そして、
残念ながら
この式に
静兄は
出席していません。


なぜなら
守が結婚する
数年前に
亡くなったからです。


守が着ている
タキシードは

静兄が

アきさんと
結婚した時に

あつらえたもの 
だということです
















参考  

日本近代建築家列伝

レポート濃尾地震の影響

建築家 岩本禄


内田先生肖像と
安田講堂の写真は
Wikipediaより引用




少年篇(岐阜篇)は
これでおしまいです
m(_ _)m


次回から
いよいよ
青春篇!

いざ初恋金沢へ!

少しキャラ設定など
準備の時間取りますが、

頑張りますので

是非これからも読んでやってください!



次の更新につづきます!



















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少年篇

【漫画⑨】原風景の街 大垣

【漫画11−1】絵画のめざめ


【漫画11−5】絵画のめざめ

などの舞台となっている

旧制大垣中学

について
調べたことを
ご紹介したいと思います

★★★



旧制
大垣中学

現在
『大垣市スイトピアセンター』
という
公共施設が集まっている場所に
あったそうです。
(昭和20年の空襲にて消失)

IMG_9481



IMG_9480

現在も
跡地の碑
建てられています

IMG_9437


校歌が刻まれています


IMG_9442
『百錬へずば 心の剣
光はありとも かひなき光
麋城(びじょう)に学べる 西濃男児』

心の剣は 鍛錬しなければ
光はあっても
役にたたない
という意味でしょうか。

麋城(びじょう)
とは
大垣城の古くからの呼び名。
麋は動物の 鹿という意味。

諸説あるようですが
大きくて立派な城、という
意味合いのようです。

歴史を感じる
呼び名です。 





後の物ですが
三つのによる
濃尾平野
雰囲気を
よくあらわした碑

建っていました。

IMG_9468


漫画にも書いた
川の灯台が
学校近くにあります
IMG_9495

京都タワー

海の無い京都に
灯台を建てる


というコンセプト

構造設計担当の
棚橋先生から出されたそうですが、

守が案として書いた
スケッチ
の中に
四角い塔があるのです。


私は、
灯台といえば
普通
丸い塔を思い描く
のではないかな


不思議に思っていたので、

これを見たとき、

思春期に慣れ親しんだ
この灯台が
イメージとして
出てきたのだろうか?


気になったりしました。



IMG_9511
擬宝珠(玉ねぎ)とのツーショット・・・(笑)


★★

旧制大垣中学は
現在の
岐阜県立 大垣北高等学校

後継校として
資料が引き継がれています


IMG_9587

お訪ねしてみると
このように歓迎してくださいました

(名前のみ加工してます) 
本当にありがとうございました
大垣高校歓迎写真


守が通った校舎の写真
見せていただきました

IMG_9548

周りには何もなく、
見渡すかぎり田んぼだったそうです

旧大垣中学跡地周辺に残った
田んぼ

IMG_9415
このような風景が360度広がっていた中で
13歳から18歳まで
過ごしていたということですね

(ホテルから 旧大垣中学の跡地を見たところ
現在市街地となっている部分のほとんどが
田園だったようです)

IMG_9542



11話−1 絵画のめざめ
でも触れている
皇太子殿下の行啓

スーパースターを迎えたかの
熱狂ぶりだったそうですが

記念碑が
今でも残っていました


IMG_9561 2
ちなみに
この碑を建てた記念の式典で
11話−5
で使った
守の絵
賞をもらったようです


IMG_9528
先ほどの
旧中学跡地の植栽と
比べて見ると
面影がある気がします

IMG_9453



ところで
漫画によく登場している
お友達は

IMG_5043

中西有三さんと言って
実在の人物です

IMG_5025 3
(「建築家 山田守」(向井覺著)より引用)

学校有数の
絵の描き手と噂されていたそうで、
とても優秀な人だったそう。

5年の時
守と一緒に賞を取っている記述もありました

IMG_5029 2
そんな優秀な中西さんを
守祖父はいつもからかって
頭を長くした絵を描き、
「頭長(とうちょう?)」
という
失礼なあだ名で呼んでいたとか。

IMG_5045
そんな二人は
お互い出世して
のちに
ロンドンで
再会します。

そのとき
酔っ払って
守が書いた
中西さん頭の似顔絵は、
祖父が建物によく使う
パラボラアーチ
だったそうです
IMG_5048 2

失礼しちゃいますね!
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘


(≧▽≦)



守の絵が
夏休み明けに
急激に上達して

同級生が

驚いている小文

見つかったのですが、

著作権の関係などで
ネットに上げることは
難しいようです

できれば
このシリーズ、
いつか書籍にまとめられたら
許諾を頂いて
ご紹介できたら
幸いです

(書籍化については未定です
もし
ご興味持っていただける方いらっしゃいましたら
お気軽にどうぞご連絡くださいませ)





大垣北高校の
皆さまには
大変
お世話になりました


厚く御礼申し上げます





これを書いている間にも
どんどん時間が過ぎてしまい・・・

次週日曜までに
漫画が間に合うか
わかりませんが、
なるべくがんばりますね

では
次の更新につづきます!



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山田11-12−3
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山田11-13−1
山田11-13−2
山田11-13−3
山田11-13−4





つづく





からを為すのがワシの精神じゃ!』


この言葉は、

繰り返し

祖父・山田守が語っていたと言う


生涯の信条です

(文書には残っているのが
みあたらないのですが

祖母のテープでは
繰り返し
祖父が
そのように言いながら
建物を工夫した
エピソードが
語られていました)


(また、
今回の
漫画内では

セリフとして
『有を為す』が
わかりにくいかな?と思い

価値を生んでやる、
という表現にしてあります)



この精神は

いつどうして
培われたのか?



それが
私の、
山田守をめぐる
最大の謎で

大きな関心事でしたが、


この後、

祖母と
金沢で出会ったときには
すでに
このような感性を
持っていた
様子なので、


岐阜の生家での
生活の中で

身につけた考えだと思われ、

また、
ちょうど
兄静の騒動と
重なる時期に

心境の変化があったらしいので、

このように
描いてみました。


実は

今回の
漫画には

私が山田守を調べていって

彼の心情の
核となる部分


こうであったのではないか?

ということが
たくさん
入っている
ものになっています。



建築の歴史の中で、

表現主義
とか
機能主義とか
呼ばれる

守の特徴も

ひとりの生身の人間として

このようないきさつが
多かれ少なかれ
あったのではないか?

と思われ、


知り得た点と点を
結びつけて

ドラマ仕立てではありますが
描いてみたつもりです。




細かい解説は
長くなってしまうので


またいずれ
別の機会に
描いてみたいと思っています。



なお、
中に出てくる
守の絵


実際
守が
この絵で賞をもらったもの
使用してみました。


また、

大垣中学80年史

守の絵が
四年生の夏休みあけに

急激に上手くなって


同級生が
驚いている
感想文


みつけることができたので

そのエピソードを用いています。




エピソードの発掘には

大垣北高校の
五十川先生
大変
お世話になりました


厚く御礼申し上げます





ではまた
次の更新につづきます!

(また来週日曜に
何か記事を入れます

岐阜篇は
あともう少しでおしまいです!)


日曜の遅い時間となり
お待ちいただいた方いらしたら
失礼いたしました!




















 
















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