50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

タグ:分離派建築会


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金沢青春篇
はじまり
はじまり
‼️



 【金沢青春篇①】





山田金沢1−1−1W600 枠なしカット
山田金沢1−1−2枠なし600 山田金沢1−1−3枠なし600 山田金沢1−1−4枠なし600
山田金沢1−2−1枠なし600山田金沢1−2−2枠なし600山田金沢1−2−3−1『』枠なし600







山田金沢1−2−3−2枠なし
山田金沢1−2−4枠なし600
山田金沢1−3−1枠なし600
山田金沢1−3−2−1−1枠なし



  

山田金沢1−3−2−2枠なし
山田金沢1−3−3枠なし600

山田金沢1−3−4枠なし


つづく
漫画のみ読みたい方は



大変遅くなってしまいましたが
山田守マンガ、19歳から23歳まで

大正2年から6年まで
青春篇を
お届けしたいと思います!



金沢での出来事は
資料で残されたものが少ないのですが、

建築的な話題で言うと、
ここでも絵を描きまくっていたそうで、

その画力が
のちの曲線を多用するデザインを支えたのではないか?


ということと、

ここで、
洋画の展覧会を主催した経験
後の
日本初の建築運動とされる
分離派建築会の活動につながっていったのでは?

ということを描いてみたいです。

また、
人間ドラマ的には
祖母の例のテープで
語られていた

祖母との出会いの様子など・・・・

事実を元にしながら
マンガチックに脚色してはおりますが、


近代建築家が
生身の人間として
どのように生きていたか、

その周囲の人が
どんな影響を与えていたか、

などをご覧になって、
建物をつくった人々に
少しでも
親しみを持っていただけたら光栄です






【50玉建築散歩】

現・石川四高記念文化交流館
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東京に長年住んだ上で
金沢の街に出かけると、
大震災も戦禍も無かったという場所には
こんなにも歴史が保存されているのか!と
とても心を動かされます


この建物も祖父が過ごしていた大正期から
ほとんど変わらす保存されて
いるのではないでしょうか・・・

政府に雇われた外国人の手ではなく、
大学で正規の西洋建築の教育を受けた
日本人建築家の作品
としては、
全国で最古の現存例に属する(「石川県の文化財」)
そうですが、

窓の上の白レンガの模様や、
内装の美しさ、
階段の模様に四高のマークが
あしらわれているなど

可愛らしさのあるデザインは
今見ても古めかしさを
感じません。




祖父が滞在していた頃
金沢は
東京大阪名古屋に次ぐ
大きな都市だったそうで、

加賀藩の奨励した
工芸の伝統もあってか
大正浪漫の美しさが花開きつつある
場所でした。

また、美人が多いことも有名で、
竹久夢二の奥さんは
金沢滞在時、
街に美人が多いので
夢二を一人で外出させたがらなかったとか。(笑)

そんな素敵な場所であった金沢から
祖父は
何を吸収していったのでしょうか?







マンガ内で山田守がかぶってふざけている
夏帽
後列右側の友人がかぶっているものを
描いてみました。
当時の制服はモノも良さそうでお洒落ですね。

IMG_7765

ちなみに山田守は前列左端。
その隣にいる友達は、大垣中から同じく一浪し、
一緒に四高に通った友人だそうです。




次の更新に続きます!
11月18日(日曜)更新予定です






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【少年篇 絵が役にたつ職業】
最終回です


山田12-6−1身内が?
山田12-6−2アキとやら
山田12-6−3建築に来るといい
山田12-6−4図画の時間があって
山田12-7−1内田
山田12-7−2お前なら強
山田12-7−3都合のいい学問
山田12-7−4西洋どんな
山田12-8−1大学入れてから
山田12-8−2思い切り絵
山田12-8−3お疲れ様
山田12-8−4岐阜最後


→漫画13−1 金沢青春篇 第一話



※ねむねむで更新作業をしていて
この少年篇最終回を
消してしまったのを
復元しました


解説文も
以前は描いておいたのですが
新作の作業に力を入れていますので

また余力があるとき
復元します

ここまで読んでくださりありがとうございました!


IMG_9911

のち山田守の恩師となる
内田祥三先生


IMG_5630
内田祥三先生作 東大安田講堂



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山田12-3−4
山田12-3〜ラスト
山田12-4−1
山田12-4−2
山田12-4-3


山田12-4-4-2



山田12-5−1
山田12-5−2
山田12-5−3

山田12-5−4






つづく









以前の話では

山田守
故郷の自然によく親しみ

それが
守のつくる
建物にも
大きな影響を与えたのではないか?

ということを
描いたのですが、


その割に

守は
故郷の話を

晩年になるまで
ほとんど
していないようなのです。



それは

故郷の農村の

古い因習や
しきたり
縛られた
生活から抜け出して

新しい時代に
向かっていきたい

という
思いも
人一倍強く

それが

故郷に対する
反発心と
なっていたから
なのではないかと

思われるのでした。

(最後の写真は
実際
山田家に遺された
当時の写真ですが、

父 弘三が気合い入れて
撮ってるのに
守だけ
そっぽを向いてます^ ^


また

当時の世相として

明治の中頃より

漱石ら
文学者を中心に

近代的自我
の確立

模索されていた
背景もありました。


と言うと
難しく感じられますが.

ようするに

江戸時代までは
お上が
生き方を
決めてくれていたのが

明治維新とともに
それが
無くなってしまい

自分とは何か?
よい生き方とは何か?

それぞれ
考えなければ
ならなくなった

ということです。


日本は
黒船が来て

外圧がきっかけで

一気に西洋化して
国力を高めようと
した
訳ですが

それを支える
精神的な
ものの考え方
西洋の考えを
ベースに
取り入れようとしたのです。




とはいえ
当時
近代的自我の確立
などの
意識を持てるのは

まだまだ
全体の人数から
見れば

ほんの少数の

高等教育を
受けた

学生などだけでした。



守は
地方の
田園地帯の
出身でしたが、

中学に通うことが出来、

文学好きから
近代的自我の
考え方に
目覚め始めた時期


自分の内面の希望に忠実に生きる
近代的自我を体現した
東大出の
目の当たりにし

その後の
生き方にも

影響を受けたに
違いない
と思われる
のでした。



これ以降

守は

時に
古い勢力からの
抵抗に遭いながらも

常に

自分の内面を見つめ、

良いと思ったことを
実現させていく
馬力に溢れた
人生を送ります

それもまた
この
故郷に対する
反発心を
バネにして

進んで行った
ようにも
思えるのでした。



守らが起こした
日本初の建築運動
分離派建築会

今までの
決まった様式で
作っていく
建築から分離し

自分たちの内面から
あふれ出る
創作意欲を
表現できる

自由な建築物
作っていこう!

という
主張の活動でした。

まさに近代的自我を
確立しようと
奮闘した
若者たち

建築に対して
その
考え方を打ち出した
活動
言えるのではないでしょうか。


6分離派
↑※大正9年です!後で直します
分離派建築の代表作といえばこんなのとか↓
IMG_5206
分離派建築会メンバー 瀧澤真弓氏 の作品です
山の家↑(模型のみのようです)


この運動以降
日本で
様々な形態の
建築物が
作られるように
なっていったようです

(それ以前は西洋から移植した
バロック様式とか
ルネサンス様式とか
型がある建物が主流でした)



【以下メイキング話】

さて、この写真…

私は
資料と
伝え聞いた事柄と

この一枚の写真から受ける
登場人物のイメージを

ミックスさせて 

この話を描いてみたのですが…
山田12近代自我写真わいこ1
最初は誰が誰だか分からなかった
この写真も
見つめていくと
様々なドラマが読み取れる気がしてきて
とても楽しかったのです
(^ω^)
山田12近代自我写真1

私の似顔絵は似てないのは
さておき、
気がむいたら
拡大して
元ネタの世界を
お楽しみ下さいネ(^^)


※ちなみにこの家は
本家の跡取りの方の
ご尽力により

まだ変わらぬ姿で
保存されています

住む人もなく
保存されているそうで
守の生家として
見てみたい人が集まったら

公開しても良い
とのお考えもあるそうです

興味ある方いらっしゃいましたら
コメント欄や
SNS
などでお知らせ頂けたら
幸いです


公開実現は
可能かどうか
全く白紙ですが
ご希望の数によっては
本家の方に
相談させて頂きます







次の更新につづきます!

(次回で本当に岐阜篇の最終回です!)


















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