50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

タグ:コミックエッセイ





大垣1−1
大垣1−2
大垣1ー3 は訂正版

大垣1ー4 説明あり訂正版

大垣2−1



大垣2−2ー分割






大垣2−2ーところで新
大垣2−3



大垣2−4
大垣3−1
大垣3−2
大垣3−3
大垣3−4



★★★ 


守は広いひろい
濃尾平野の真っ只中の
生家で育ちましたが


3歳から18歳までを過ごした
旧制大垣中学も 

当時は 

広大な平野の中に
ぽつんと建っていた 
そうです 

ここで守は絵画に目覚め、 
洋画研究会という 
クラブに入って 

主に風景を 
スケッチブックに 
描くのが楽しみだったそうです 


また、当時は 
1905年終結の 
日露戦争 
の 
勝利の余韻が 
強く 
残っていたようで、 

明治維新後、 
西洋に追いつくことばかり 
躍起になっていた日本が 

はじめて 
大国ロシアを破り 
自信を取り戻した
時期でもあり 

当時の皇太子が 
数分 
学校を訪れた時は 

スーパースターを
迎えたかのような
熱狂の渦に 
包まれたそうで

記録に残っておりました。











祖父は
近代建築のパイオニア

言っていただくことが
多いのですが、

とにかく
西洋にしか前例のない
コンクリート・鉄・ガラス
を使った
建物
をつくるために

色々な知識を
一生涯かけて
インプットし続けた

人でもあったようです。


祖父が影響を受けたものは
建築からのみならず
絵画、俳句、哲学、園芸・・・

多岐にわたっていて、

それを追うのも
また
なかなか面白い
もののようなのですが、

人生の初期を過ごした
大垣の街を
まずは訪れてみると

なんと 

晩年につくった
京都タワーと
武道館

原風景

と感じさせられる風景に
出会えたことに 

驚いてしまいました。



若い頃の祖父は
「汚い山田さん」と
祖母の家の女中さんにまで
からかわれるほど

身の回りに無頓着な人でしたが

丸善で揃えた本のコレクションだけは
とても立派だったそうです

そのような西洋の本から
刺激を受けた
若い頃の作品↓は

非常にモダンで
image

image

西洋視察後↓
image

戦後↓
image

と、

このような作風の建物を
次々作っていた
ところに

最後いきなり↓
image

こうなので、

その飛躍は
当時の識者に
驚かれたようですし、

孫の私も
長年不思議に
思っておりました。



しかし、
武道館建設の
4年ほど前に手がけた

野田郷土博物館
野田加工写真2
の設計過程で
ある人との出会いが 
刺激となって

自分の中にある

日本の風土
というものにも

意識を向けるように
なったのではないか?

ということが、

色々調べるうちに
感じられるように
なってきました。


そして、

欧州から帰った時
「こういうものをつくりたい」と
語っていた決意や、

生涯をかけて
蓄積した知識の

全てが集約して
いった結果

武道館の
大胆なあの形が

ほとばしり出るように
生まれたのではないか?



と いう
一つの推論が

私の中に
生まれてきたのでありました・・・






その出会いのところまで
書くのは
長い道のりになりそうですが

パソコン環境も一新し
また気持ちも新たに
頑張ります

今年も
よろしくお願いいたします

取材協力 岐阜県立 大垣北高校

貴重な資料を
見せて頂き
ありがとうございました


次の更新に続きます 














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8-1-1大家族8-1-2大家族8-1-3大家族
8-1-4大家族
8-3−1 大家族ブログ直し用8-3-2 大家族ブログ直し
(つづき⑨へ→)


この漫画を
描くために
祖父の周辺を
色々調べてみて

まず驚いたのは

このような
家の事情でした。


異母きょうだいで
育った話は

一族にも
あまり
伝わっていなく

向井先生の本でも
さらっと触れているだけ。

生活していく上では
むしろ

忘れてしまいたい
事柄だったのかも
しれません。


しかし

守は
情が深く

人と濃く付き合うタイプの
建築家でしたが、

(祖父の縁で
仕事を得た
仲間や部下の方も多いらしく、

逓信省の山口文象先生の
エピソードなどが
有名です)


(祖父亡き後に生まれた
私でも

法事にやって来る
人々の
テンション高い
熱気には

毎度

おじいちゃんて
一体何をして
みんなに
こんなに好かれていたんだろう?

不思議に思ったのを
覚えています)


その情の深さは

どうも普通の
親切心や
同情心や
友愛などを
超えるレベルの
ものであったらしいので、


この特殊な
家族関係を知ったとき、

ここで幼少から
揉まれて得た
心が

人と付き合うときの
大きな糧に
なっていたのではないか

思えてならないのでした。



3人の母は
古谷家から

一人亡くなると
次々
妹が

後釜をつとめるために
嫁いで来たようです。

昔はよくあったと聞きますが、

今なら考えられないですね
( ;  ; )




次の更新に続きます 


がーん! 
パソコンがとうとう
クラッシュするように
なってしまいました。゚(゚´Д`゚)゚。
修理or買い換え…

(´;ω;`)…

切り替えが上手くできないと
少し更新が滞るかも
しれません…

Twitterやfacebookで
状況お知らせしますので
よろしくお願いいたします
( ;  ; )
物入り…










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7はじめるにあたって2-2
7はじめるにあたって2-3
7はじめるにあたって2-4
山田守の生涯の話に入らず
すみません


と言うのも、

本篇を描く前に

どうしても
 向井覺氏について

書いておきたかったのです。



向井先生は 

旧制四高・東大建築学科・戦時に海軍を経て

祖父が戦後どさくさ期に創立した
通信建設工業に入社。

その後祖父の紹介もあり逓信省に入省。
電電公社を経て独立し、
建設会社の社長を務めた

という経歴の方です。



とても誠実なお人柄で、
 
祖父は『後輩にして同志』と
人に紹介するなど、

随分頼りにさせて
いただいたのではないでしょうか。


向井氏は晩年に

きちょうめんな調査を重ねて

主に逓信省の建築家の
評伝
いくつも残してくださいました。


夭折した天才肌の岩本禄氏、

静謐な作風が祖父とよく対比される吉田鉄郎

そして祖父の書籍。


祖父の本については、
評伝だけでなく

ばらばらのままになっていた
ヨーロッパ出張での出来事
を書いた
祖母宛の手紙
一冊にまとめてくださったり
(コルビジェに会いに行ったときのことなどが書かれています)


趣味で書いていた
俳句
をまとめてくださったり…


それらの本・資料が

祖父の死後に生まれ、

祖父の姿を直接知らない孫の私に

祖母のテープとともに

沢山のことを
伝えてくださいました



その事を

この場を借りて

故・向井覺 先生に

厚く御礼申し上げます




※6コマめで
Y子の脳裏によぎった疑問については
本篇の中でおいおい
語っていきたいと思います


※守祖父の 酒の席での珍談奇談
一部では有名で、これも描いてて楽しい分野(笑)
また描きたいと思います

尚、祖父の名誉のために
申し上げるならば、

酒はむしろ弱い方で、
家庭ではあまり呑まず

酒の席での珍談を
家族は他人から聞くことが主だったとか。

なので、
酒乱のたぐいというより

旧制高校の乱痴気さわぎ
名残
仕事の鬱憤晴らしに 
やっていたような感じなのかなあ・・・
と思ったりしています

描いてて楽しい
守一人ストーム・・・

向井先生、すいません!




では、次の更新より

いよいよ山田守の生い立ち・ 
岐阜の話にまいります!




向井覺氏の著書の数々



手紙集と句集は非売品だったようです







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熊本レポ5−2
熊本レポ5−3
熊本レポ5−4
熊本レポ5−2−1

熊本レポ5−2−2
熊本レポ5−2−3
熊本レポ5−2−4



①〜④話までは
イベントが
どのようなものだったか
レポート
してきましたが

今回の⑤話


次回
最終回の⑥話
では

イベントを通して
心に残ったこと
少し
描いてみたいと
思います。





何かが無くなる
ということ。


誰かがいなくなる
ということ。



それは、

そこに
当たり前のように
あったものの

はかなさ


見せつけられる
ことであり、


また

なくなったものとの
関係が
深いほど、

当たり前に
生きている
自分自身

同じく
はかない存在
だと

思い知らされる
こと
であったように
思います。






形あるものは

いずれ
なくなる。


だから
執着しないように
した方が
いいのでは。


私は
なんとなく

色々な
事・物に対して

そんな風に
思っていたような
気がします。




なくなった時に
ショックを受けないように…


いなくなった時
淋しくならないように…

……





しかし、

いざ

何ものかが
永遠に
失われてみると、


そのものの
持っていた良さが

二度と戻らないこと
喪失感
強く迫ってきて、


もっともっと

その良さを
自覚して、

いつでも思い出せる
くらい

しっかり関わって
いくべきだった

と思われて
しかたなかったのでした




さらに、

執着しない、
などと
うそぶいていたのは

単なる

面倒くささや
おっくうさ
への

言い訳でしかなかった
ことに気がつき、


自分自身の
時の過ごし方に

ひどく
腹が立ってくるの
でした




ただ 、

時が経つにつれ、

なくなったもの
への
喪失感は


自分にとって

与えてもらっていた
ものの
大きさと

比例している


ことに
気づいてきたりも
したのでした。






なくなったものが
教えてくれること。


それは、

生きている
この時間に

何を
与えられているかを


振り返れ。


そんな
メッセージ
であったように
思いました 。






もともと
この漫画を描きはじめたのも


父が亡くなったことが
きっかけで、



調べたり
描いたり
しなければ

このまま忘れられ、
分からなくなってしまう
人々の思い

気がついたから
なのでした。





日々の生活の中で

生活と関係ないことを

調べたり
描いたり
することは

実はかなり
大変な
作業なのですが、


いなくなった人々が
見せつけてくれた

一生の短さ、

人生のはかなさ




その
面倒なことに
取り組む
力を与えてくれる

ものの
ようにも
思われてくるのでした。






なくなった建物を
追う
イベントを通して
そんなことを考えて
いたので

今回は
そんな話を
描いてみました


m(_ _)m




次の更新につづきます



次回で
熊本レポは終わりです


なくなったとばかり
思っていた
祖父の建築が
熊本に
残したもの
とは?


GW最終の日曜日に
更新予定です
















 


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