50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

カテゴリ: 近代建築



11月となりました

ようやく金沢篇の書き溜めもできてきましたので、

また今週より
日曜日更新
再開します


まずは


東海大学湘南キャンパス3号館
に登った話です。

東海大学3号館1−1



東海大学3号館ブログ用1−2
車がここを通って
屋上の駐車場に止められる
ように計画したとか聞きましたが…

駐車場として
実際使われていたのでしょうか?

車で実際登ったことある方、
どんなだったか
ぜひ教えて下さい
(道幅狭くなかった?
怖くなかった?
目〜回りませんでした?
(((o(*゚▽゚*)o))))
東海大学3号館ブログ用1−3

東海大学3号館ブログ用1−4

 東海大学3号館2ブログ用

祖父の建物について
感想を頂くとき、


東京駅から
中央電信局がぬ〜っと見えて
印象的だった
とか

総武線に乗ると
厚生年金病院を
車窓に見逃さないよう
楽しみにしていた、

など、

人の生活圏に
異質な感じで
ふっと現れ、

いつの間にか
馴染んでしまい
見るのが
楽しみになった、

というように
言って頂くことが
多かったのです。

それらの建物が無くなってしまった後、
育った私は
正直ピンとこないまま
時を過ごしていましたが、

祖父の育った場所に
行ったとき

(濃尾平野↓)
6313BEF2-1B57-411B-9DD0-657E4409C9BC


何か、とても

分かったような
気がしたのです。


祖父は絵を描き、俳句を作りながら
日本の自然を
いつも
観察していたようです

建物であるからには
まず、
人に寄り添う使い勝手の工夫にもすぐれ、
スロープなど機能面の工夫もし
使い勝手もよかったと聞きます。

と同時に、

日本の美しい風景に、
もう一つの美しさを付け加えるような
外観に、
全体を
まとめ上げることに尽力していた。


そのこだわりが、

自然界には
直角のモノは
ほとんど無い!
と言って
生涯貫いた、

あの
作りづらいと言われる
流線
曲線だったのだろうな、
ということが、

沢山の資料を当たるより

一瞬で腑に落ちる場所

それが

東海大学湘南キャンパス
3号館

ではないかと思いました。
 

私が長年、
景観とともに映える
祖父の建物の魅力に
気付けなかったのは、

東京駅も、総武沿線も、
街は建て込んでしまって
元の景観が損なわれてしまったからかも
しれません。

(そう考えると聖橋などは
見晴らしが良い場所にあるので
今も魅力が伝わりやすいのかもしれません。)


⭐️


東海大学の建物群も、

出来た時は近未来的で
キッチュな
感じがしたであろう
曲線が、

緑生い茂る大地
マッチして
意外な可愛さ💕を発揮していて
びっくりです。
IMG_4110


もし、山田守の建物に
興味を持たれた方、

ぜひ
東海大学湘南キャンパス
山田守
まるまるワールド
気候の良い時にでも
お訪ねになってみて下さい。


祖父はご機嫌な時
やあいらっしゃい、
両手を広げて
歓待してくれたそうですが、

そんな祖父の
歓待の声が聞こえそうな
キャンパスだと、

建物を訪ねて思いました。

(^ν^)


おしまい


⭐️

●去る10月4日、
NHK京都の夕方のニュース内
8分番組に、
京都タワーについて

山田守の孫として
ちょこっと
インタビューして頂きました。

内容は、
祖母のテープを聴いて
祖父に対して感じたことなどです。

普段何となく見ている
NHKだけれど、
こんなに
人柄の良いディレクターさんが
丁寧に
番組を作っていらっしゃるんだなぁ
と驚き、
感動した体験でした。

その体験を
漫画にしたいところですが
取材の様子などは
あんまり言っちゃイケナイみたいなので
レポはこの辺にします。

放映された
8分の番組についての
レポは
余力があるとき
また描けたらいいです…
自分の顔が
カピバラすぎて見るのが辛いとか…


(╹◡╹)
⭐️

配信遅くなっておりましたが、
金沢青春篇!!
かなざ金沢告知ツイッター500w

来週日曜日(​11/11)より
とりあえず
一カ月
毎週更新します!

山田守が建築家になる前の
青春の話ですが、
後の分離派につながる活動?
や、
初恋の話など。

私自身祖父母のなれそめが
大好きで
描いていて楽しいです
(o^^o)

是非お越しください

 

  これまでの話一気読みはこちら


 
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IMG_7714

金沢青春篇
はじまり
はじまり
‼️



 【金沢青春篇①】





山田金沢1−1−1W600 枠なしカット
山田金沢1−1−2枠なし600 山田金沢1−1−3枠なし600 山田金沢1−1−4枠なし600
山田金沢1−2−1枠なし600山田金沢1−2−2枠なし600山田金沢1−2−3−1『』枠なし600







山田金沢1−2−3−2枠なし
山田金沢1−2−4枠なし600
山田金沢1−3−1枠なし600
山田金沢1−3−2−1−1枠なし



  

山田金沢1−3−2−2枠なし
山田金沢1−3−3枠なし600
山田金沢1−3−4枠なし
つづく



大変遅くなってしまいましたが
山田守マンガ、19歳から23歳まで

大正2年から6年まで
青春篇を
お届けしたいと思います!



金沢での出来事は
資料で残されたものが少ないのですが、

建築的な話題で言うと、
ここでも絵を描きまくっていたそうで、

その画力が
のちの曲線を多用するデザインを支えたのではないか?


ということと、

ここで、
洋画の展覧会を主催した経験
後の
日本初の建築運動とされる
分離派建築界の活動につながっていったのでは?

ということを描いてみたいです。

また、
人間ドラマ的には
祖母の例のテープで
語られていた

祖母との出会いの様子など・・・・

事実を元にしながら
マンガチックに脚色してはおりますが、


近代建築家が
生身の人間として
どのように生きていたか、

その周囲の人が
どんな影響を与えていたか、

などをご覧になって、
建物をつくった人々に
少しでも
親しみを持っていただけたら光栄です






【50玉建築散歩】

現・石川四高記念文化交流館
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東京に長年住んだ上で
金沢の街に出かけると、
大震災も戦禍も無かったという場所には
こんなにも歴史が保存されているのか!と
とても心を動かされます


この建物も祖父が過ごしていた大正期から
ほとんど変わらす保存されて
いるのではないでしょうか・・・

政府に雇われた外国人の手ではなく、
大学で正規の西洋建築の教育を受けた
日本人建築家の作品
としては、
全国で最古の現存例に属する(「石川県の文化財」)
そうですが、

窓の上の白レンガの模様や、
内装の美しさ、
階段の模様に四高のマークが
あしらわれているなど

可愛らしさのあるデザインは
今見ても古めかしさを
感じません。




祖父が滞在していた頃
金沢は
東京大阪名古屋に次ぐ
大きな都市だったそうで、

加賀藩の奨励した
工芸の伝統もあってか
大正浪漫の美しさが花開きつつある
場所でした。

また、美人が多いことも有名で、
竹久夢二の奥さんは
金沢滞在時、
街に美人が多いので
夢二を一人で外出させたがらなかったとか。(笑)

そんな素敵な場所であった金沢から
祖父は
何を吸収していったのでしょうか?







マンガ内で山田守がかぶってふざけている
夏帽
後列右側の友人がかぶっているものを
描いてみました。
当時の制服はモノも良さそうでお洒落ですね。

IMG_7765

ちなみに山田守は前列左端。
その隣にいる友達は、大垣中から同じく一浪し、
一緒に四高に通った友人だそうです。




次の更新に続きます!
11月18日(日曜)更新予定です






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