50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

カテゴリ: 建築

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向井先生の本によると
洋画会は大正5・6年であった、
との記録もあるようなのですが、

そうすると
祖母の証言や
当時の事実と
一致しない部分もあるので、

ここでは大正3年の暮の
エピソードとして
まとめて構成して

描いております。

その旨
ご了承くださいm(_ _)m



とはいえ、

家と家との合意によらずに
結婚することができなかった
当時、
山田守と寿が結ばれるのは
かなり大変だった
のは
事実であり、

ほんの少し流れが違ったら二人は結婚できず、

祖父が他の女性と
所帯を持ったら、

もしかしたら、

あのように沢山の建物を
残すことは
できなかったかもしれないなぁ

などと
と思いながら


このなれそめ話を描いてみています。






さて、建築家人生に直接関係は
なかった方ですが、

四高洋画会を応援してくれた英語の先生・
大谷正信
について少し・・・


向井先生の本に名前があり、
夏目漱石と交流あった人だったら
一応描いとくか!

くらいな感じで
取り上げておいたところ、


この方の
人となりが
ネット上にある
読者の方が見つけて
教えてくださいました。




優しそうな
イケメン紳士!

IMG_9720

島根県は松江の生まれであったことから
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に
中学で英語を学び、
偶然に東大でもハーンに学ぶことになった縁などから
小泉八雲全集の多くの
翻訳者となった方なのだとか。


イギリスに留学していたことから
夏目漱石とはとても話が合って、
親しく交友していたそう。


漱石は当時の美術界の
論客でもあったようなので、

大谷先生が
山田守らの
洋画への思いを
汲んでくださったのは
うなずける、という
繋がりです。


そこで、
再度

手持ちの四高の本を
隅々まで見返してみると、
教授陣のあだ名が紹介されて
いるところがあって、

大谷先生は
ベストドレッサー
呼ばれていたのを発見!

以前描いた所では
容貌がまったくわからなかったので
おっさんに描いていましたが
ひっそり書き直しました・・・

いや、イケメンに描きすぎると
浮くし
この頃39歳なので
なんか結局おじさんにしちゃったけど・・・


・・・・というように

この時代の
旧制中学
旧制高校
帝国大学にすすんだ人物は

日本の近代の基礎を
つくった人として
色々な記録が残っており、

あとから
ぽろぽろ情報が出てくるので、

事実を元にしたフィクションです!

キリッ


と銘打っても
油断ができず・・・

シンドイような
楽しいような・・・・
( ・∇・)汗


・・・それでも、

大谷先生の容貌を
ご覧になって、

いかに当時の旧制高校の
教授陣が
ハイソサエティ
な雰囲気をお持ち
であったか
感じていただけたら
幸いです!



ちなみに松江には
この大谷繞石(俳号)先生の
句碑
何年か前に
できたそうです。

このブログをご覧の方にも
松江の方が
いらっしゃるかもしれませんので
気が向いたら
探してみてくださいね!
(あえてリンクは貼らないどー( ͡° ͜ʖ ͡°))





☆☆

さて、金沢篇も
佳境に入ってきましたが
(あと6回の予定・・・)

実は、とあるウェブサイト様から
月一回
漫画エッセイを自由に描くように、
との
ありがたいお仕事の話
いただいております。



お題は
自由ということではありましたが

色々考え、

せっかくこれから
二度目の東京オリンピックに
向かう時期な
ので、

孫の立場から
日本武道館
振り返る話

描いてみたいと
思い、

現在調整中です!






そちらの進行具合によって
次の更新は
4月中旬ごろ・・・?

少し開く予定ですが

ツイッターや
フェイスブックで
近況をまた
お知らせいたしますので

今後とも
遊びに来てやってください!

よろしくお願いいたします
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漫画のみ読みたい方は 
→金沢10話へ



今回の話は
建築要素が
無いので( ^ω^ )
解説はお休みします




と言いながら、
女学生が歌っていた歌について
ちょっとご紹介。


祖父が四高時代、
女学校の塀を乗り越えて
祖母の音楽祭を
見に来ていた、

というのは
テープが見つかる以前から
よく聞いていた
なれそめエピソードでした。


その頃
祖母がどんな歌をうたっていたのかな?

これを描くにあたり
母に聞いてみたところ、

たぶんこれでは?と教えてくれたのが
庭の千草
という曲です。

戦前の女学校では
よく歌われていた曲だそうで、

男性の人生を見送った後の
女性の理想像?

とも
とれる内容・・・・



祖父亡き後
南青山の
自宅
を守りながら



祖父の植えた
草木を見ながら

祖母が時折
この歌を口ずさんでいた

と聞くと、

南青山の山田守自宅

蔦珈琲店のある場所)
を訪れた方々には
是非
聞いてほしい曲
のようにも
思いました。









庭の千草も むしのねも
かれてさびしく なりにけり 
あゝしらぎく 嗚呼白菊 
ひとりおくれて さきにけり 

露もたわむや 菊の花 
しもにおごるや きくの花 
あゝあはれあはれ あゝ白菊 
人のみさおも かくてこそ


【以下解説】
 世界の民謡のページより抜粋。

人生の晩年、愛する人に先立たれ一人残された人物の気持ちが歌われている。

露もたわむ」・・・先立たれ一人残されて涙に暮れる様子

「しもにおごる」は古い漢文に由来する表現で、

 霜に負けずに力強く咲く菊の花の様子を表しており、
人物の気丈な様子が暗示されていると考えられる。

「あはれ」は、寂しさや悲しさを表す。
「みさお(操)」は、不変の意思・節操、伴侶への貞節などの意味。
 

庭に咲いた周りの草花(庭の千草)が皆枯れてしまった中、
秋冬の厳しい寒さを一人耐え忍ぶ菊の花のように、
強く生きていく。




☆☆






次の更新は
3月17日(日)頃を
予定していますが

ひとつ
ありがたい企画が
通りましたので

そちらの進行具合によって
少し
遅れるかもしれません


よろしくお願いいたします
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漫画のみ読みたい方は→金沢9話 初恋へ



山田守が
日本の建築史
最初に
現れるのは、

分離派建築会
という

日本初の
近代建築運動を起こした
メンバーの一員としてです
IMG_9453
東京都市と建築の130年 より


この運動は、

建築界で

建築物は 
強い構造体であれば良い
とする流れが
強くなり始めていたところ、

いや、
建築も芸術でなければならない
表現の一つであるべきだ、
などと
うたった
活動で、

しかも
建築の模型などを
百貨店で展示し
話題を集めた活動だった
ということです。




建築史だけを読んでいると、
なぜ
そのような運動が
突然現れたのか?
唐突な感じがするのですが、

山田守をはじめ、
分離派メンバーは
絵画好きな者の集まりで、

当時の絵画の
流派のせめぎ合い
見ていれば、

その流れを
建築でも起こそう、
と考えたことは

自然な流れだったように
思えます。


また、

山田守が青春期を過ごした
大正時代前半は、
好景気の後押しもあり、


ついこの前の
江戸時代には無かった

自分という存在(自我)や
自由

西洋から学ぶだけでなく、

自分の中に落とし込んでいこう
とする気運が高まった時期で、

様々な分野で
古い考え方(旧派)
新しい考え(新派)
の対立が起きていました。


自己を
大切にするという考えは、

芸術による表現意識も
高めましたが、

人権意識の高まり
にもつながり、

大正デモクラシーの
風潮を作っていき、

国や資本家など
支配側の人間に対して

市民側が
権利を主張してゆく
大きな流れが
起こりました。


分離派建築会
分離
とは

ウィーンで起きた
ゼセッション運動から
きているようですが、

過去の
貴族的な建築物の
様式から

分離して
向かった先は

形態の芸術的自由
であるばかりではなく、

産業革命によって
大量に生まれた
都市の
市民のための建物
をつくることでも
ありました。


山田守の人生は、
高校時代から
すでにこのようであったように、

常に
何かしらの
新しい考えに挑戦し、

その度に
何かしらの
壁に
立ちはだかられていた
人生だったように思います。


その壁の向こうに、
山田守は何を見ていたのでしょうか?


自己の信じた美しさを
表現する

ことと

使う人々(市民)の
居心地に
寄り添ったもの

を目指していたのでは?

私には思えるのですが、

それは、

このような
大正時代の
青春が
守に刻みつけた
感性であったのでは?

考えながら
この稿を
描いてみています


当時の文展を巡る絵画の状況


横山大観先生は
日本画家ですが
若い頃は洋画からも影響された
アバンギャルドな人だったんですね〜

大観先生の前に
立ちはだかった無理解の壁は
ハンパない高さで、
貧しさのあまり
最初の妻子が亡くなる
経験をされたとか…

祖父も
ヒーロー視するほどでは無かったようですが、
同時代の大家として
注目していた画家の一人だったようです。

横山大観が
生涯をかけて描いた
多くの富士山の絵は
よく見ており、

日本武道館の屋根に
富士山をモチーフにしたとき
引き合いに出したりしていました。

IMG_9455












次の更新は
3月3日(日)前後を予定しており
ます














 
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金沢 7−4−2
金沢 7−4−3

金沢 7−4−4



つづく





【今回の制作あれこれ】

山田守の恋バナに
サクッと話を進めたかったのですが、

守祖父が
充実した
青春モラトリアム期を送っていた
大正3年
といえば、

開始された
①第一次世界大戦
についてと

②動きの激しかった
美術界

について
触れないわけにはいかない
かな

と思い、
この回を描いてみました。


①第一次世界大戦は
当初
海外でも日本でも、

多くの人が
一年以内に終わると
楽観的に考えていたそうです。

しかし、産業革命後の
技術革新
武器にも及び、

戦線の膠着、長期化、
死亡者の桁外れの増加
などから
世界中を震撼とさせました。

山田守の
建築世界への入り口では
第一次世界大戦が、

社会、経済、
人間の考え方、感じ方など
幅広い方面に
強く
影響を与えていたのです。


②美術界については、また。




今回、山田守が立ち上げた
四高洋画会
からは、
分かっているだけで他にも
二人の建築家
が生まれています。
お二人とも
山田守に感化?されて
東大建築学科に
進んだのだとか。

石川純一郎先生
FullSizeRender
竹中工務店に入社し、活躍。

代表作
朝日ビルディング(1931・大阪)
IMG_9343
※写真は竹中工務店HPより引用させて頂きました


大内秀一郎先生
大内秀一郎 探す

分離派研究会に
遅れて参加する。

「欧州近代建築の主潮」(大正12年)などの
欧州近代建築関連の著書あり。

大阪市立電気科学館(1937)
の設計者の一人とされる。
FullSizeRender
※写真は電気科学館のWikiより引用

ちなみにこの建物は
手塚治虫先生が
少年期
足しげく通う
お気に入りスポットだったそう。
日本初のプラネタリウムがあったとか。

実は 私の兄秀一郎
という名前で、
どうやらこの方から
とった名前らしいのですが、

その割には
この
大内秀一郎さんについては
祖母も知らず、
どんな人か全く
伝わっていないのです。

守祖父は、兄が生まれた時
男の孫が生まれ
たいそう喜び、

大変仲良くしていた
後輩?部下?の
名前を勝手につけた、

とだけ伝わっているのです。

祖父がそんなに
惚れこんだほど
好人物だったらしい
大内さん
どんな人だったか、
この漫画を描き、
調べる中で

どこかで
知ることができたらいいなぁ
と思っています…


北岩松さん家の碁会所

前回描きました
今もあるお菓子屋さんの
先代、
北岩松さん。
無くなってしまったのですが、

当時ご近所の人々が
碁会所として
出入りしていた、
北さんご自慢の
お座敷が
まだ残っているとのこと。IMG_9338
なんでも床板
50回以上かけた
拭き漆
なのだとか。

当時を偲ばせる
珍しいお部屋を
見せていただいたので
漫画にも
登場して頂きました
(^^)


【編集後記】

先日より、
何か、いつもより
アクセスが多いな?
と不思議に思っていたら

大ベテランの
素敵な建築家
秋山東一先生に
ご紹介記事を描いて頂いて
いたようです


守祖父も
美術の流れの影響の大きい
建築家だと思い
この話を描いていますので、

岡倉天心率いる
東京美術学校の
後継校
東京藝大ご出身の
秋山先生に
お言葉を頂き
励まされました

ありがとうございました

先生に言及頂いた
フランス圏のマンガ
バンド・デシネ
少しでも近づけるように
頑張ります〜

絵が下手だからキビシイが〜

そうそう

海外には
グラフィック・ノベルと呼ばれる
漫画分野もあるみたいなのを
この機会に
バンド・デシネ調べているうち
知りました

グラフィック・ノベル!
なんて
素敵な響き!

(о´∀`о)
ナンカ言ッテルゲド
言ワシトイテ

次の更新は
2月13日(水)前後を予定しており
ます














 
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