熊本レポ2−1
熊本レポ2−2
熊本レポ2−3
熊本レポ2−4





↓こちらのイベントに参加した
熊本レポート2話目です
2017寿チラシ表_最終





本日  2018・4月14日付で
熊本地震から
まる二年が経ちました


当日は東京でも
地震速報が流れ、

むすこと家の外に出た後、

震源地が熊本

と出て、

当時
東日本より
九州あたりは

地震に関して
落ち着いているように
思えていたので、

とても
ショックを受けたのを
覚えています。


また、

一度めの揺れでは

被害が少ない
様子だったのに、

二度目の方が大きな揺れ、

という地震があるのを
目の当たりにし、

予測のできない
地震というものの
恐ろしさ

日本中がぞっとしたことも
忘れられません。




被害に遭われた方々の
ご冥福、

一日も早い
復興を
心からお祈りいたします







今回の催しも
地震後

急速に変わっていく
熊本の
街並みへの

危機感から、

美しい街づくりへの
建物の意義を
問いかける団体様が

催して下さったもので
ありました。



祖父設計の
熊本市役所花畑町別館

旧熊本逓信病院

今回の地震にも
耐えたそうでした。

(タイル一枚落ちなかった、
という表現で
伝えて頂いています)



そのこともあり、
保存活動を
熱心にして頂いていたようです。



山田守建築が
頑丈だった話
色々なところで
聞くのですが、

一番驚いたのは

広島逓信病院などは

ナント!

原爆
にも耐え

​救護施設となった記録が
今も
現地に展示されているそうです。




私が本編を描く
きっかけになった

でも


濃尾大地震の爪痕が残る
土地に育った
守は

関東大震災前から

地震に対する意識が高く、

常に
祖母に
地震が来た時の
心構えを
語っていたそうでした。





さて、今回の
漫画についてです。



守の建築、ということで
反応を下さる方

①建築学科出身で
建築史の中で知った

②東海大学出身で
守のつくった校舎で過ごした

③実際の建物を好きになり、
検索して知った



などが

主のようなのですが、



中には

熊本出身で、
小さなころから
親しんで
育ちました。

などと
言って下さる方が
ちらほら…


熊本には

むすこが
小さな頃

プラレールからの
鉄道ファン(小鉄)
になり
(おきまり)

ゆふいんの森など
を乗り継ぎ

阿蘇に行った。

くらいしか
行ったことがなく、


今回
熊本で
山田守建築が
どんなことになっていたのか

振り返り、
まとめてみました。

ちょっと写真が小さく
白黒なため
分かりにくいものになって
しまい
すみません!


守建築では
あまり残っていない

戦前のシンプルなタイプの
建物が
非常に良い状態で

生活の中心で

使って頂いていたのだ、

ということが
よくわかりました。



ちなみに
熊本
花畑町別館(1936年竣工)
IMG_0493
このように美しく使って頂いていましたが

近い時代(1932)
に作られ

まだ残っている
東京の
荻窪郵便局電話事務所は


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↑こんな感じです


原型を
とどめてないっていう…
(°_°)


近くに住んでた時期も
あったのですが

荻窪の
おじいちゃんの建物って
どこなんだろ〜
(・・?) 

って

まだ検索もなかった時期だったので
よくわかりません
でしたっけ…




今回惜しくも
解体となりましたが


本当に長い間

綺麗に使って下さって
熊本の方々
ありがとうございました


長くなりましたので

今回大変お世話になりました

熊本ビル部さんについては
また
お話したいと思います




次の更新に続きます


































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