50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

2018年05月


少年篇

【漫画⑨】原風景の街 大垣

【漫画11−1】絵画のめざめ


【漫画11−5】絵画のめざめ

などの舞台となっている

旧制大垣中学

について
調べたことを
ご紹介したいと思います

★★★



旧制
大垣中学

現在
『大垣市スイトピアセンター』
という
公共施設が集まっている場所に
あったそうです。
(昭和20年の空襲にて消失)

IMG_9481



IMG_9480

現在も
跡地の碑
建てられています

IMG_9437


校歌が刻まれています


IMG_9442
『百錬へずば 心の剣
光はありとも かひなき光
麋城(びじょう)に学べる 西濃男児』

心の剣は 鍛錬しなければ
光はあっても
役にたたない
という意味でしょうか。

麋城(びじょう)
とは
大垣城の古くからの呼び名。
麋は動物の 鹿という意味。

諸説あるようですが
大きくて立派な城、という
意味合いのようです。

歴史を感じる
呼び名です。 





後の物ですが
三つのによる
濃尾平野
雰囲気を
よくあらわした碑

建っていました。

IMG_9468


漫画にも書いた
川の灯台が
学校近くにあります
IMG_9495

京都タワー

海の無い京都に
灯台を建てる


というコンセプト

構造設計担当の
棚橋先生から出されたそうですが、

守が案として書いた
スケッチ
の中に
四角い塔があるのです。


私は、
灯台といえば
普通
丸い塔を思い描く
のではないかな


不思議に思っていたので、

これを見たとき、

思春期に慣れ親しんだ
この灯台が
イメージとして
出てきたのだろうか?


気になったりしました。



IMG_9511
擬宝珠(玉ねぎ)とのツーショット・・・(笑)


★★

旧制大垣中学は
現在の
岐阜県立 大垣北高等学校

後継校として
資料が引き継がれています


IMG_9587

お訪ねしてみると
このように歓迎してくださいました

(名前のみ加工してます) 
本当にありがとうございました
大垣高校歓迎写真


守が通った校舎の写真
見せていただきました

IMG_9548

周りには何もなく、
見渡すかぎり田んぼだったそうです

旧大垣中学跡地周辺に残った
田んぼ

IMG_9415
このような風景が360度広がっていた中で
13歳から18歳まで
過ごしていたということですね

(ホテルから 旧大垣中学の跡地を見たところ
現在市街地となっている部分のほとんどが
田園だったようです)

IMG_9542



11話−1 絵画のめざめ
でも触れている
皇太子殿下の行啓

スーパースターを迎えたかの
熱狂ぶりだったそうですが

記念碑が
今でも残っていました


IMG_9561 2
ちなみに
この碑を建てた記念の式典で
11話−5
で使った
守の絵
賞をもらったようです


IMG_9528
先ほどの
旧中学跡地の植栽と
比べて見ると
面影がある気がします

IMG_9453



ところで
漫画によく登場している
お友達は

IMG_5043

中西有三さんと言って
実在の人物です

IMG_5025 3
(「建築家 山田守」(向井覺著)より引用)

学校有数の
絵の描き手と噂されていたそうで、
とても優秀な人だったそう。

5年の時
守と一緒に賞を取っている記述もありました

IMG_5029 2
そんな優秀な中西さんを
守祖父はいつもからかって
頭を長くした絵を描き、
「頭長(とうちょう?)」
という
失礼なあだ名で呼んでいたとか。

IMG_5045
そんな二人は
お互い出世して
のちに
ロンドンで
再会します。

そのとき
酔っ払って
守が書いた
中西さん頭の似顔絵は、
祖父が建物によく使う
パラボラアーチ
だったそうです
IMG_5048 2

失礼しちゃいますね!
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘


(≧▽≦)



守の絵が
夏休み明けに
急激に上達して

同級生が

驚いている小文

見つかったのですが、

著作権の関係などで
ネットに上げることは
難しいようです

できれば
このシリーズ、
いつか書籍にまとめられたら
許諾を頂いて
ご紹介できたら
幸いです

(書籍化については未定です
もし
ご興味持っていただける方いらっしゃいましたら
お気軽にどうぞご連絡くださいませ)





大垣北高校の
皆さまには
大変
お世話になりました


厚く御礼申し上げます





これを書いている間にも
どんどん時間が過ぎてしまい・・・

次週日曜までに
漫画が間に合うか
わかりませんが、
なるべくがんばりますね

では
次の更新につづきます!



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山田11-4先に行ってて
山田11-4ラスト山田11-10−1
山田11-10−2山田11ー11ー1−1山田11ー11ー1−2山田11ー11ー3
山田11ー11ー4山田11-11−2−1山田11-11−2−2
山田11-11−2−3
山田11-11−2−4



山田11-12−1山田11-12−2
山田11-12−3
山田11-12−4
山田11-13−1
山田11-13−2
山田11-13−3
山田11-13−4





つづく





からを為すのがワシの精神じゃ!』


この言葉は、

繰り返し

祖父・山田守が語っていたと言う


生涯の信条です

(文書には残っているのが
みあたらないのですが

祖母のテープでは
繰り返し
祖父が
そのように言いながら
建物を工夫した
エピソードが
語られていました)


(また、
今回の
漫画内では

セリフとして
『有を為す』が
わかりにくいかな?と思い

価値を生んでやる、
という表現にしてあります)



この精神は

いつどうして
培われたのか?



それが
私の、
山田守をめぐる
最大の謎で

大きな関心事でしたが、


この後、

祖母と
金沢で出会ったときには
すでに
このような感性を
持っていた
様子なので、


岐阜の生家での
生活の中で

身につけた考えだと思われ、

また、
ちょうど
兄静の騒動と
重なる時期に

心境の変化があったらしいので、

このように
描いてみました。


実は

今回の
漫画には

私が山田守を調べていって

彼の心情の
核となる部分


こうであったのではないか?

ということが
たくさん
入っている
ものになっています。



建築の歴史の中で、

表現主義
とか
機能主義とか
呼ばれる

守の特徴も

ひとりの生身の人間として

このようないきさつが
多かれ少なかれ
あったのではないか?

と思われ、


知り得た点と点を
結びつけて

ドラマ仕立てではありますが
描いてみたつもりです。




細かい解説は
長くなってしまうので


またいずれ
別の機会に
描いてみたいと思っています。



なお、
中に出てくる
守の絵


実際
守が
この絵で賞をもらったもの
使用してみました。


また、

大垣中学80年史

守の絵が
四年生の夏休みあけに

急激に上手くなって


同級生が
驚いている
感想文


みつけることができたので

そのエピソードを用いています。




エピソードの発掘には

大垣北高校の
五十川先生
大変
お世話になりました


厚く御礼申し上げます





ではまた
次の更新につづきます!

(また来週日曜に
何か記事を入れます

岐阜篇は
あともう少しでおしまいです!)


日曜の遅い時間となり
お待ちいただいた方いらしたら
失礼いたしました!




















 
















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初期の建物

旧 逓信省 門司郵便局電話課庁舎
(1924年  大正13年)
門司電気通信レトロ館

に行くことができたので、
写真で簡易レポートします(╹◡╹)

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移り変わりの激しい
電気通信関連の施設ながら

なんと94年も
良い状態で使って頂いているという
奇跡的な建物。

何度も解体の話が出たところ、
地域の観光レトロ街再興と
建築に造詣の深い地域の方、
NTTさんの
企業理念などに
建物が救われた背景があったそうです。

FullSizeRender
ありがとうございます!

祖父の初期の代表作
東京電信局↓と同時代の建物で

中央電信 文字入れ


東京電信局 亡き後、

当時を彷彿とさせる
貴重な存在です

IMG_2524

IMG_1489
繰り返される
垂直線の隙間には、


火災時に水が流れる
管が入っているそうで
(スプリンクラー代わり)

役所の建物にしては
デザインに凝りすぎ?のように
見えるけれど
防災装置を兼ねていたそうで、

実際火災時に
稼働し

被害を
抑えたこともあったそうです。






IMG_2525
やはり
トロッと
角を丸めてあるところもありました。



IMG_2540
階段室。
写真家の方が訪れて、撮った写真が
飛行機の機内誌の表紙に使われたそうです。

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貴重な外壁の変遷の展示。
IMG_2530
改修で変わっていった
外壁の仕上げ材の
標本がありました

IMG_2531
↑私は、聖橋のトンネル部分の
天井壁面が

小学生のとき
通るたび
いつも
洞窟みたいだなぁと思っていて
好きだったのですが、

これだったのでしょうか?




電話機の変遷の展示
見応えありました!
IMG_2533
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↑電話機の色名が 和風で素敵(╹◡╹)


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面白電話


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懐かしの電話
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初めての携帯電話

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しもしも?ヾ(๑╹◡╹)ノ"

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黄金のドコモダケ


半周戻って手旗信号

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さらに戻って飛脚
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白ヤギさんたら
読まずに食べそう(@_@)
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古い写真のアルバム

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門司港からの
出航の様子
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IMG_2553

門司トンネル博の
デザインがレトロ。昭和33年。

IMG_1544
文字もレトロでいい感じ。
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門司港の街は
かつての賑わいの雰囲気を残す
レトロな観光地となっていました

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IMG_2557

シャッターにも
建物のイラストが沢山。
IMG_2554

祖父は、
昭和4年の渡欧時、
この
門司港から
船で
ヨーロッパに渡りました

IMG_2559

これと同型ではないようですが
日本郵船の船にて。
IMG_1532

この旅で
船の良さに目覚めたそうで、
しきりに感激した様子を
手紙などに書き残しています

帰国以降の建物には

船のような雰囲気を持った建物が
いくつも出現したそうです


IMG_1518
IMG_1534
IMG_1535
この港から旅へ。

羨ましい人生ですね

祖母は
祖父の留守中
色々大変なこともあったらしいのですが

健気に
子育てしながら
待っていたようです。
(@_@)


駆け足ですが
門司レポでした。

では
本編の続き
来週日曜
アップできるよう
作業に移ります!


また来週よろしくお願いいたします



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熊本レポ6−1−1熊本レポ6−1−2熊本レポ6−1−3
熊本レポ6−1−4

熊本レポ6−2−1
熊本レポ6−2−2

熊本レポ6−2−3
熊本レポ6−2−42




熊本レポ6−3−1
熊本レポ6−3−2
熊本レポ6−3−3熊本レポ6−3−4
熊本レポ6−4−1熊本レポ6−4−2







イベントって
準備に
とっても
手間と時間が
かかっているのに、


開催日が
過ぎてしまえば

消滅してしまう



それが
はかなく

勿体無く、



また

気づきが
とても
大きかった
イベントだったので

本篇の途中でしたが

長々描いて
みました。




私に
似顔絵ならぬ
似てない顔絵
登場させられて
しまった方々

お許しください!


特に会の間、
学生代表の
k城さんには
きめ細かくサポートして頂き
本当に助かりました
ヽ(;▽;)

お世話になり
ありがとうございました
m(_ _)m




花畑町別館は

守建物には珍しい

茶色

ですが、

どうやらそれは


【熊本城🏯
の見映えを
引き立てる

近代建築とは?】


という問いへ

守が
1930年代に
出した

ひとつの答え
だったようです。


(守建物を
追っていくと、

作品の流れの中で
突然

今までやらなかった
外観デザイン
取り入れた?

と驚く
建物が
現れることが
あるのですが、


それは

その場所
特有
周囲との兼ね合い
考慮して

ガラッと変えているように
見えるのでした。

(野田郷土博物館が
典型的に
それを感じますが、

このことは
いずれ
また
全体を俯瞰して
描いてみたい
テーマです)


そして
今回
どうしても
描いておきたかったのは

熊本にとっての
初期の
近代建築であった

花畑町別館が
採用した
色が

リレーのバトンのように

今も
熊本の
街の建物に
引き継がれている

という
事実
知ったことでした。



それは
熊本城という
はっきりした
景観のシンボルを
持つ
街が


世代を
超えて

街の美しさを
引き継ぎつづける

という意識の高さ

強制されることなしに

自然に持つことが
できていた

ということの
あらわれ
であるように
思いました。


守建築を
見ていくと

守は
建物を 

単体でなく

その建物が
建ったとき
周囲からどう見えるか、

ということを
いつも意識していた
様子なのですが、


(↑
何度も言いますが、 
私は
これは
広大な
濃尾平野の真ん中で
育った影響だと思っています)


建物が
景観に与える印象を
誰よりも
考えていた

街のために選んだ
色が

80年後も

バトンのように
引き継がれていることを

普段
熊本に縁のない
孫として

知ることができたのは

とても不思議な体験でした。



また、
東海大学の
創立者

松前重義
の郷里が
熊本だと知り、
不思議なご縁を感じました

(山田守 は
松前氏と一緒に
東海大学を立ち上げ、
その縁で
東海大学の初期の建物を
ほとんど無償で
設計したそうです)





守の人生を
追っていくと、

景観に貢献する
建物
常に考えていたし、

また、実際
貢献している
実績?
も沢山あり

これも
その
ひとつと言えると
思うのですが、


晩年の
京都タワーの
景観論争の
印象が

一部に残り

景観破壊な建築家?
みたいに
揶揄されることも
あったのは

本当に皮肉なことだな、

と思います。


しかし、
祖父は
景観論争で
色々批判されても

はっきりした
信念もあったためか

ぜんぜん
しょげる様子はなく

ひょうひょうとして
まだまだ造りたい山程の
建物へのアイデアに
邁進していた
そうです。



孫としましても

建物のことは
ドラマになりにくい、

と言われている
にもかかわらず、

山田守をめぐる
建物のドラマ

バッシングなど
負の状況に陥った
あたりも含め、

面白く感じられ、
( ´∀`) 


まだまだ
追いかけたい
ところです




これからも
当サイトに
遊びに来ていただけたら
光栄です



ではようやく

本編 のつづきにまた入りたいと思います



次の更新に続きます 





今回お世話になった田中智之先生近著です
駅ではなく緑が中心にあり、
古い町家から近代現代の建物まで
城下町をベースに色々な建物が共存している
熊本の建築の多彩さを知る
 
最適な一冊です
↓ 




ぜひご覧ください! 



















 


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