50年めの大きな玉ねぎ

日本武道館・京都タワーを設計した 建築家の祖父 『山田守』をめぐる コミックエッセイ

日本武道館・京都タワーを設計した
建築家の祖父『山田守』をめぐる 
コミック・エッセイです

 

2017年05月






 
 
山田守 建物探訪②
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 東海大学 湘南キャンパス 
(1962年〜)
 
2018年5月 訪問

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キャンパスのシンボル 
1号館

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(「キャンパスの記憶ー湘南キャンパスの歴史」(東海大学学園史資料センター発行)より引用させて頂きました

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敷地の選定から関わったこの広大なキャンパスは
守の最晩年の作です

防火も兼ねたこの噴水は
守が寄贈したものだそうで(通称_山田噴水)

ここに水が高く上がるのを
楽しみにしながら

ついに目にすることができないまま
亡くなったということです


ほぼ同じ場所
1964年8月

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(「湘南キャンパス事始め」同センターHPより引用)
 
先の資料によると

「湘南キャンパス開設当時はまだ、周辺も含めて道路が舗装されていませんでした。
晴れの日には砂ぼこりが舞い上がり雨が降れば長靴がなければ
歩くこともままならない
、劣悪な環境だったのです
学生たちは皮肉をこめて〝湘南砂漠〟と呼んでいました。」

とのこと。


しかし、

50数年経過した今・・・・・・
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IMG_3931

IMG_3919

瑞々しい木陰をつくる
樹々に覆われ
日傘が必要ないほどでした。


IMG_3900
 ↑都電(東京の路面電車)の敷石


1962年当時、自動車の普及と
東京オリンピックのための道路整備で、
都電がいくつか廃止されました

その敷石を
守が交渉し、格安で譲り受け
ぬかるみ対策として敷いたそうです



都電の敷石は
南青山の
自宅にも敷かれています


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山田守の建物は
それぞれ
どこか兄弟的な部分があり

繋がりを見つけていく楽しさがあるようです






守の銅像がある3号館に行く途中に


ぬかるみがひどかった時期に
足を洗ったという
洗い場が
残されていました

IMG_3977

このような状態のところを通学されていたので
足洗い場は貴重だったことでしょう

スクリーンショット 2018-07-01 21.41.10
(「湘南キャンパス事始め」同センターHPより引用)


IMG_3886
今は 空気も澄んでいて とても爽やかなキャンパスです



2号館前を過ぎ
3号館へ

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山田守の 胸像が見えてきました


・・・
書き出してみましたら
長くなってきましたので
次回に続きます


東海大学2−2へ→

★★★★★
お知らせ
★★★★★

IMG_5673


新しくできた19号館に建築学科が移転したため
建築学科の入っていた
H棟
解体されることになったのを受け、

解体を惜しむ会

来たる7月19日(木曜)
17時30分より
東海大学湘南キャンパスで
行われることになったそうです


なんでも山田守記念室というのが
置かれている
建築学科のシンボル的存在の建物だったそうです


H棟はこんな感じです
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刷毛引きの壁に
ひたすら角が丸められた
低層の建物。

スロープで屋上に行けるのが
遊び心を感じて、味わい深く
いい感じ。





似た形の棟が周囲に点在しているので
解体ショックの
救いが
少しはあるような気もしますが・・・
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最後に祖父が、
私の父を連れて

東海大学の出来上がり具合を見に
車で無理して出かけたそうですが

ここを見るためでも
あったのではないか?

と思うと

なんとも淋しい気持ちになります




山田守記念室って何?


ここで一体どんな授業をしていたのだろう・・・・

色々思いは尽きません


当日はたくさんの興味深いお話が聞けるようです


うーん
行きたいけど・・・・
行けるかな・・・・


(つづく)

 
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少年篇

【漫画⑨】原風景の街 大垣

【漫画11−1】絵画のめざめ


【漫画11−5】絵画のめざめ

などの舞台となっている

旧制大垣中学

について
調べたことを
ご紹介したいと思います

★★★



旧制
大垣中学

現在
『大垣市スイトピアセンター』
という
公共施設が集まっている場所に
あったそうです。
(昭和20年の空襲にて消失)

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現在も
跡地の碑
建てられています

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校歌が刻まれています


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『百錬へずば 心の剣
光はありとも かひなき光
麋城(びじょう)に学べる 西濃男児』

心の剣は 鍛錬しなければ
光はあっても
役にたたない
という意味でしょうか。

麋城(びじょう)
とは
大垣城の古くからの呼び名。
麋は動物の 鹿という意味。

諸説あるようですが
大きくて立派な城、という
意味合いのようです。

歴史を感じる
呼び名です。 





後の物ですが
三つのによる
濃尾平野
雰囲気を
よくあらわした碑

建っていました。

IMG_9468


漫画にも書いた
川の灯台が
学校近くにあります
IMG_9495

京都タワー

海の無い京都に
灯台を建てる


というコンセプト

構造設計担当の
棚橋先生から出されたそうですが、

守が案として書いた
スケッチ
の中に
四角い塔があるのです。


私は、
灯台といえば
普通
丸い塔を思い描く
のではないかな


不思議に思っていたので、

これを見たとき、

思春期に慣れ親しんだ
この灯台が
イメージとして
出てきたのだろうか?


気になったりしました。



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擬宝珠(玉ねぎ)とのツーショット・・・(笑)


★★

旧制大垣中学は
現在の
岐阜県立 大垣北高等学校

後継校として
資料が引き継がれています


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お訪ねしてみると
このように歓迎してくださいました

(名前のみ加工してます) 
本当にありがとうございました
大垣高校歓迎写真


守が通った校舎の写真
見せていただきました

IMG_9548

周りには何もなく、
見渡すかぎり田んぼだったそうです

旧大垣中学跡地周辺に残った
田んぼ

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このような風景が360度広がっていた中で
13歳から18歳まで
過ごしていたということですね

(ホテルから 旧大垣中学の跡地を見たところ
現在市街地となっている部分のほとんどが
田園だったようです)

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11話−1 絵画のめざめ
でも触れている
皇太子殿下の行啓

スーパースターを迎えたかの
熱狂ぶりだったそうですが

記念碑が
今でも残っていました


IMG_9561 2
ちなみに
この碑を建てた記念の式典で
11話−5
で使った
守の絵
賞をもらったようです


IMG_9528
先ほどの
旧中学跡地の植栽と
比べて見ると
面影がある気がします

IMG_9453



ところで
漫画によく登場している
お友達は

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中西有三さんと言って
実在の人物です

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(「建築家 山田守」(向井覺著)より引用)

学校有数の
絵の描き手と噂されていたそうで、
とても優秀な人だったそう。

5年の時
守と一緒に賞を取っている記述もありました

IMG_5029 2
そんな優秀な中西さんを
守祖父はいつもからかって
頭を長くした絵を描き、
「頭長(とうちょう?)」
という
失礼なあだ名で呼んでいたとか。

IMG_5045
そんな二人は
お互い出世して
のちに
ロンドンで
再会します。

そのとき
酔っ払って
守が書いた
中西さん頭の似顔絵は、
祖父が建物によく使う
パラボラアーチ
だったそうです
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失礼しちゃいますね!
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘


(≧▽≦)



守の絵が
夏休み明けに
急激に上達して

同級生が

驚いている小文

見つかったのですが、

著作権の関係などで
ネットに上げることは
難しいようです

できれば
このシリーズ、
いつか書籍にまとめられたら
許諾を頂いて
ご紹介できたら
幸いです

(書籍化については未定です
もし
ご興味持っていただける方いらっしゃいましたら
お気軽にどうぞご連絡くださいませ)





大垣北高校の
皆さまには
大変
お世話になりました


厚く御礼申し上げます





これを書いている間にも
どんどん時間が過ぎてしまい・・・

次週日曜までに
漫画が間に合うか
わかりませんが、
なるべくがんばりますね

では
次の更新につづきます!



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初期の建物

旧 逓信省 門司郵便局電話課庁舎
(1924年  大正13年)
門司電気通信レトロ館

に行くことができたので、
写真で簡易レポートします(╹◡╹)

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移り変わりの激しい
電気通信関連の施設ながら

なんと94年も
良い状態で使って頂いているという
奇跡的な建物。

何度も解体の話が出たところ、
地域の観光レトロ街再興と
建築に造詣の深い地域の方、
NTTさんの
企業理念などに
建物が救われた背景があったそうです。

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ありがとうございます!

祖父の初期の代表作
東京電信局↓と同時代の建物で

中央電信 文字入れ


東京電信局 亡き後、

当時を彷彿とさせる
貴重な存在です

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繰り返される
垂直線の隙間には、


火災時に水が流れる
管が入っているそうで
(スプリンクラー代わり)

役所の建物にしては
デザインに凝りすぎ?のように
見えるけれど
防災装置を兼ねていたそうで、

実際火災時に
稼働し

被害を
抑えたこともあったそうです。






IMG_2525
やはり
トロッと
角を丸めてあるところもありました。



IMG_2540
階段室。
写真家の方が訪れて、撮った写真が
飛行機の機内誌の表紙に使われたそうです。

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貴重な外壁の変遷の展示。
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改修で変わっていった
外壁の仕上げ材の
標本がありました

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↑私は、聖橋のトンネル部分の
天井壁面が

小学生のとき
通るたび
いつも
洞窟みたいだなぁと思っていて
好きだったのですが、

これだったのでしょうか?




電話機の変遷の展示
見応えありました!
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↑電話機の色名が 和風で素敵(╹◡╹)


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面白電話


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懐かしの電話
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初めての携帯電話

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しもしも?ヾ(๑╹◡╹)ノ"

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黄金のドコモダケ


半周戻って手旗信号

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さらに戻って飛脚
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白ヤギさんたら
読まずに食べそう(@_@)
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古い写真のアルバム

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門司港からの
出航の様子
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門司トンネル博の
デザインがレトロ。昭和33年。

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文字もレトロでいい感じ。
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門司港の街は
かつての賑わいの雰囲気を残す
レトロな観光地となっていました

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シャッターにも
建物のイラストが沢山。
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祖父は、
昭和4年の渡欧時、
この
門司港から
船で
ヨーロッパに渡りました

IMG_2559

これと同型ではないようですが
日本郵船の船にて。
IMG_1532

この旅で
船の良さに目覚めたそうで、
しきりに感激した様子を
手紙などに書き残しています

帰国以降の建物には

船のような雰囲気を持った建物が
いくつも出現したそうです


IMG_1518
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IMG_1535
この港から旅へ。

羨ましい人生ですね

祖母は
祖父の留守中
色々大変なこともあったらしいのですが

健気に
子育てしながら
待っていたようです。
(@_@)


駆け足ですが
門司レポでした。



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熊本レポ6−1−1熊本レポ6−1−2熊本レポ6−1−3
熊本レポ6−1−4

熊本レポ6−2−1
熊本レポ6−2−2

熊本レポ6−2−3
熊本レポ6−2−42




熊本レポ6−3−1
熊本レポ6−3−2
熊本レポ6−3−3熊本レポ6−3−4
熊本レポ6−4−1熊本レポ6−4−2







イベントって
準備に
とっても
手間と時間が
かかっているのに、


開催日が
過ぎてしまえば

消滅してしまう



それが
はかなく

勿体無く、



また

気づきが
とても
大きかった
イベントだったので

本篇の途中でしたが

長々描いて
みました。




私に
似顔絵ならぬ
似てない顔絵
登場させられて
しまった方々

お許しください!


特に会の間、
学生代表の
k城さんには
きめ細かくサポートして頂き
本当に助かりました
ヽ(;▽;)

お世話になり
ありがとうございました
m(_ _)m




花畑町別館は

守建物には珍しい

茶色

ですが、

どうやらそれは


【熊本城🏯
の見映えを
引き立てる

近代建築とは?】


という問いへ

守が
1930年代に
出した

ひとつの答え
だったようです。


(守建物を
追っていくと、

作品の流れの中で
突然

今までやらなかった
外観デザイン
取り入れた?

と驚く
建物が
現れることが
あるのですが、


それは

その場所
特有
周囲との兼ね合い
考慮して

ガラッと変えているように
見えるのでした。

(野田郷土博物館が
典型的に
それを感じますが、

このことは
いずれ
また
全体を俯瞰して
描いてみたい
テーマです)


そして
今回
どうしても
描いておきたかったのは

熊本にとっての
初期の
近代建築であった

花畑町別館が
採用した
色が

リレーのバトンのように

今も
熊本の
街の建物に
引き継がれている

という
事実
知ったことでした。



それは
熊本城という
はっきりした
景観のシンボルを
持つ
街が


世代を
超えて

街の美しさを
引き継ぎつづける

という意識の高さ

強制されることなしに

自然に持つことが
できていた

ということの
あらわれ
であるように
思いました。


守建築を
見ていくと

守は
建物を 

単体でなく

その建物が
建ったとき
周囲からどう見えるか、

ということを
いつも意識していた
様子なのですが、


(↑
何度も言いますが、 
私は
これは
広大な
濃尾平野の真ん中で
育った影響だと思っています)


建物が
景観に与える印象を
誰よりも
考えていた

街のために選んだ
色が

80年後も

バトンのように
引き継がれていることを

普段
熊本に縁のない
孫として

知ることができたのは

とても不思議な体験でした。



また、
東海大学の
創立者

松前重義
の郷里が
熊本だと知り、
不思議なご縁を感じました

(山田守 は
松前氏と一緒に
東海大学を立ち上げ、
その縁で
東海大学の初期の建物を
ほとんど無償で
設計したそうです)





守の人生を
追っていくと、

景観に貢献する
建物
常に考えていたし、

また、実際
貢献している
実績?
も沢山あり

これも
その
ひとつと言えると
思うのですが、


晩年の
京都タワーの
景観論争の
印象が

一部に残り

景観破壊な建築家?
みたいに
揶揄されることも
あったのは

本当に皮肉なことだな、

と思います。


しかし、
祖父は
景観論争で
色々批判されても

はっきりした
信念もあったためか

ぜんぜん
しょげる様子はなく

ひょうひょうとして
まだまだ造りたい山程の
建物へのアイデアに
邁進していた
そうです。



孫としましても

建物のことは
ドラマになりにくい、

と言われている
にもかかわらず、

山田守をめぐる
建物のドラマ

バッシングなど
負の状況に陥った
あたりも含め、

面白く感じられ、
( ´∀`) 


まだまだ
追いかけたい
ところです





次の更新に続きます 

山田守建物探訪① 門司レトロ舘へ→




今回お世話になった田中智之先生近著です
駅ではなく緑が中心にあり、
古い町家から近代現代の建物まで
城下町をベースに色々な建物が共存している
熊本の建築の多彩さを知る
 
最適な一冊です
↓ 




ぜひご覧ください! 



















 


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